国鉄
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この項目では、一般名詞として(世界各国)の国鉄について説明しています。

JRグループの前身公社(日本の国鉄)については「日本国有鉄道」をご覧ください。

上記公社がかつて保有していたプロ野球球団「国鉄スワローズ」については「東京ヤクルトスワローズ」をご覧ください。

国鉄(こくてつ、英語: government-owned railway)は、国家が保有し、または経営する鉄道事業である。

日本においては特に日本国有鉄道の略称としても用いられる。
国鉄の形態
経営上の形態半官半民の株式会社として設立されたフランス国有鉄道(SNCF)。1982年に公社(商工業的公施設法人)へ転換したが、2020年に株式会社へ再転換した

国際的には以下の経営形態を持つ鉄道運営組織について、一般的に「国鉄」と称される。事業体の英称としては"State railway"、"National railway"などの語が用いられることが多い。日本の国鉄は国営時代に"Government Railways"または"Imperial Government Railways"、公社時代に"National Railways"と称した。

国家が保有するとともに、国家予算による国営事業として政府官庁が経営する「国営鉄道」(こくえいてつどう、台湾省虚省化後の中華民国台湾鉄路管理局1949年以前の日本の国有鉄道2013年以前の中国鉄道部など)

政府出資による公共企業体などの非商事法人が経営する「国有鉄道」(こくゆうてつどう、日本国有鉄道韓国鉄道公社カナダVIA鉄道2013年から2018年までの中国鉄路総公司など)

政府出資による株式会社などの商事法人(国営企業・国有企業)が経営する「国有鉄道」(1982年までおよび2020年以降のフランス国有鉄道1992年以降のオーストリア連邦鉄道1994年以降のドイツ鉄道2018年以降の中国国家鉄路集団など。アメリカ合衆国全米鉄道旅客公社、日本の発足当初のJR7社および現在の北海道旅客鉄道四国旅客鉄道日本貨物鉄道もこの形態に準ずる)

事業体が法人形態を取る国では、商事法以外の特別法[注 1] を法人の設立根拠とする「特殊法人」または「特殊会社」のケースが少なくない。また旧共産圏諸国など、歴史的経緯から私鉄がほとんどなかった地域では、国営または国有の鉄道事業体であるにもかかわらず、単に「鉄道」「鉄道企業体」などと呼称し、事業体の名称および略称に「国鉄」に相当する用語を用いないケースもある。
設立経緯・目的上の形態

設立の経緯・目的の面からは、国鉄は以下の3つの形態に分類される[1]
地域開発・産業振興目的
地域開発や産業振興の目的で国が先行投資として建設したもの。私鉄と並存している形態が多い。(日本の官設鉄道、ドイツの邦有鉄道、ベルギー国鉄など)
全国統一鉄道網を形成する目的
軍事上・産業上の要請から私鉄を買収して全国的に統一された鉄道網を形成する目的のもの。(日本の国有鉄道、スイス連邦鉄道ドイツ国営鉄道イギリス国鉄など)
私鉄の救済目的
経営の立ち行かなくなった私鉄を救済して国有化したもの。私鉄では経営できない人口希薄な場所へ建設するものを含む。(フランス地方鉄道、ベルギーのNMVB/SNCV、アメリカのコンレールなど)
歴史
国鉄の誕生と鉄道網の一元化

世界で初めて蒸気機関車による公共鉄道として開通したイギリスのストックトン・アンド・ダーリントン鉄道や、初めての実用的な蒸気鉄道であるとされるリバプール・アンド・マンチェスター鉄道をはじめとする初期の鉄道は、いずれも私鉄として開業した。ただし運輸安全体制の確保や、公共性の高い事業でありながら独占となりがちな経営形態から、早くから国による規制と許認可の制度が作られた。また多くの国で鉄道建設に対して補助金が支給された。

世界で最初の国有鉄道は、1835年にベルギーで開通した。1830年オランダから独立したベルギーでは、独立戦争で荒廃した国土の再建と経済開発を進めるために国有の鉄道網を計画し、国土を東西方向と南北方向に結ぶ十字形の路線を建設した。しかし当時は全国統一の路線網を形成する意図はなく、国内鉄道の営業距離は私鉄の方が長かった。

領邦に分かれていたドイツでは領邦ごとに鉄道網の建設が行われ、このうち各領邦政府が自ら建設した鉄道については国家鉄道 (邦有鉄道、Staatsbahn) と呼ばれた。プロイセンで領邦内の私鉄を買収して鉄道網を邦有鉄道に一元化したのを皮切りに、他の領邦でも第一次世界大戦の時期にかけて同様の施策が取られた。ただし、ドイツ帝国による統一後も帝国直轄の鉄道はエルザス=ロートリンゲン鉄道のみだった。各邦有鉄道は大戦後の1920年に統合され、ドイツ国営鉄道 (Deutsche Reichsbahn) が発足した。

フランスでは、6大鉄道と呼ばれる民間の大鉄道会社が政府の保護の下に鉄道網を広げていた。一方で経営難に陥っていた地方の中小私鉄を救済するため、1878年にこれらを国有化した国有鉄道 (Chemin de Fer de l'Etat) が発足した。さらに1909年には大手私鉄のうち西部鉄道が経営破綻し、これも国有鉄道に吸収された。また第一次世界大戦後にフランス領に復帰したアルザス=ロレーヌの鉄道も国有(ただしEtatとは別組織のアルザス=ロレーヌ鉄道)とされた。1937年には、残る主要私鉄と国が共同出資して設立した株式会社のフランス国有鉄道 (Societe Nationale des Chemins de fer Francais) に鉄道網が統一された。

大規模な国有化による全国的な国鉄網の形成は、第一次世界大戦前にはスイス1902年)、イタリア1905年)、日本(1907年)などで行われた。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間にはドイツ(1920年)、オーストリア1924年)、ベルギー(1926年)、オランダ、フランス(ともに1937年)など、多くのヨーロッパ諸国で同様の国鉄網整備が進んだ。
英米の「国鉄」

イギリスの鉄道網は、鉄道誕生以来私鉄のみで構成された。第一次世界大戦の戦時体制で一時的に各私鉄が国の監督下に置かれ、大戦後には国有化も検討されたが、結局「1921年鉄道法」により4大民営鉄道会社 (Big Four) に再編されるにとどまった。各鉄道会社は第二次世界大戦でも国の監督下に置かれたあと、戦後の1948年に政府のイギリス運輸委員会 (British Transport Commission) に経営移管され、イギリス国鉄 (British Railways) となった。

アメリカでは、初期から私鉄の建設について連邦政府が手厚い保護を行ったが、連邦政府が全国的な鉄道網を保有したことは一度もない。第一次世界大戦中には政府による各私鉄の輸送統制組織としてアメリカ合衆国鉄道管理局が設立された。またアラスカ州では開拓促進を目的としてアラスカ鉄道を連邦政府が所有していたことがある。

第二次世界大戦後、航空機自動車との競合で各鉄道会社の経営が悪化した。1971年には、採算が特に悪化していた長距離の旅客鉄道を存続させるため、連邦政府が出資してアムトラック(全米鉄道旅客公社、National Railroad Passenger Corporation)が設立された。アムトラックは北東回廊など一部を除いて線路は所有せず、私鉄各社から線路を借りて旅客列車を運行している。これとは別に経営破綻した北東部私鉄各社の救済を目的に、1976年に連邦政府資本によるコンレール(統合鉄道公社、Consolidated Rail Corporation)が発足し事業を継承したが、その後1999年、民間鉄道会社へ再売却された。
経営改善の試み

多くの国では1960年代以降、国鉄の経営悪化とその改善が大きな問題となった。イギリス国鉄は1963年ビーチング・アックスと呼ばれる大規模なローカル線の廃止やサービスの統廃合を進め、西ヨーロッパ諸国や日本でも同じような動きが進められた。

日本では、1987年に「国鉄分割民営化」が行われ、列車を運行する鉄道事業者が路線等の固定資産も保有しそれを独占使用する「垂直統合組織」(Vertically integrated organisation)の形態を維持したまま、国有資産であった鉄道資産および事業をすべて民有とする政策が実施されたが、構造上競争原理の導入が期待できないこうした垂直統合型の商事法人化を行った国は日本以外にはロシア(2003年)、ベトナム(2010年)など、旧共産圏を中心としたごく一部にすぎず、世界的にはあまり行われていない。

ヨーロッパなど多くの国では、商事法人化を主目的とした日本のような民営化とは全く方向性が異なり、国鉄網を利用した列車運行事業の国家独占を解消する「鉄道自由化」による経営改善が行われた。具体的には、道路交通や海運、航空のように施設保有管理(運行管理を含む)事業と列車運行事業を切り離す「上下分離方式」を採用し、鉄道の固定資産を国民の公共財産として国家機関または国家資本による事業体が管理維持しつつ、その施設を民間事業者に広く開放し利用料を徴収する「オープン・アクセス(英語版)」制度を導入した。参入した列車運行会社のうちフランチャイズ方式によらないものは「オープン・アクセス・オペレーター」と呼ばれる。

その前提として、国鉄事業から分轄された列車運行事業体について、多くの国で新規参入が見込まれる純民間資本の事業者と同等の商事法人に転換させる形態が採られた。株式を民間会社または他国の国鉄系事業者に売却した一部の国の貨物列車運行事業体を除き、現在もほとんどの国の事業体が当該国の国家資本による企業(国有企業)であり、純民間資本の事業者とともに列車運行事業を継続している。
欧州のオープン・アクセス・オペレーター化中央ヨーロッパの純民間旅客鉄道輸送事業者による長距離旅客鉄道サービスの地図。各国の国鉄系旅客鉄道輸送事業者と競合している

ヨーロッパでは、欧州経済共同体(EEC)が1991年、陸運分野における鉄道の競争力向上を目指したEEC指令91/440号(EEC Directive 91/440、欧州連合発足後のEU指令91/440号、現・単一欧州鉄道指令2012 2012/34/EU、en:Single European Railway Directive 2012)を作成し、同年9月13日に発効した。

これはEEC加盟各国に対し、1992年12月30日を期限として、鉄道貨物サービスおよび国際旅客サービスを行う独立した列車運行事業法人が各国の国鉄線において同一のアクセス権を得ることを法的に担保することを義務化したものである。

しかし採算性が低く商業的に経営困難な場合が多い国内の地域旅客輸送事業については、公共性の観点からオプションとし、義務化の対象には含めていない。

各国政府にあっては国鉄事業を「鉄道輸送サービスの提供に関連する事業」と「鉄道インフラの管理に関連する事業」に分離することを定め、各列車運行事業者の平等な施設利用を実現するため、組織的な分割のみならず、国庫から一方の事業名目で支出された資金を他方の事業に転用することを禁じるなど、会計上も明確に分離することを求めた。

この指令は国鉄事業の民営化(商業法人化)を直接求めるものではなかったが、鉄道事業を自由化し国家による独占状態を解消することが目的であったため[2]、指令発効を受け加盟各国の多くで国鉄事業体の商業法人への転換が行われた。

さらに2004年には国際的な相互運用拡大や貨物輸送の開放拡大、安全強化などの法令を整備する「第二鉄道パッケージ」(EU指令2004/49/EC、同2004/50/EC、同2004/51/ECおよびEU規則EC881/2004)、2007年には旅客輸送のより完全なオープンアクセス化および関連する動力車乗務員の免許規定などを定めた「第三鉄道パッケージ」(EU指令2007/58/EC、同2007/59/ECおよびEU規則1370/2007、同1371/2007)が発効した。
事業分離の各国状況

線路や駅などを保有・維持管理し、各列車運行事業者の施設利用申請を受け付け、各事業者の列車の運行管理を行って利用料を徴収する鉄道施設保有管理事業については、国有資産を用いた事業であることから、多くの国で現在も国が出資した法人等が所管している。施設保有管理事業をさらに鉄道駅などの営業関係施設管理運営事業と線路や信号設備などの路線管理・運行管理事業に分け、それぞれを別の子会社に分離したドイツ(2008年再統合)やオーストリアなどのケースもみられる[3]

国鉄または旧国鉄法人側に施設保有管理事業を残し、列車運行事業について新設法人に移管した国では多くの場合、両事業のスムーズな完全分離が実現したが、フランスなど、旧国鉄法人を列車運行事業者とし、施設保有管理事業を新設法人側に移管した国では、列車運行事業者となった旧国鉄法人が新設法人から施設管理業務を受託する形を採って受託費用と施設利用料を帳簿上相殺するという抜け道で、旧国鉄法人が両事業を引き続き支配し、実質的に他の列車運行事業者の新規参入を妨害するケースが目立った。

このうち、2004年に予定していたEU加盟条件のクリアに迫られて2003年、路線施設の保有管理事業について新設法人(鉄道輸送路線管理公団、現・鉄道管理公団)に移管して株式会社に転換したチェコ鉄道株式会社(?D)では、列車運行事業者であるにもかかわらず法定の国鉄法人として引き続き駅などの営業施設保有管理事業を続けた上、路線保有管理事業についても公団から丸ごと受託する形を採って事実上の国鉄線独占状態を続けたため、国内の民間列車運行事業者でつくる鉄道事業者協会(Sdru?eni ?elezni?nich spole?nosti)が2005年、悪質であるとして政府と?Dを名指しで批判する共同声明を出す事態に発展した。

こうした事態を受け欧州委員会は2010年6月、列車運行事業と施設管理事業の分離が不十分で、旧国鉄以外の民間列車運行事業者に対する平等なアクセス権がなお確立されていないとして、加盟国中13か国(オーストリア、チェコ、ドイツ、ギリシャ、フランス、ハンガリー、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、ポーランド、ポルトガル、スロベニア、スペイン)の政府を欧州司法裁判所に提訴した[4][5]

ドイツとオーストリアに関しては、共に両事業を所管する法人が同一企業グループ傘下にあるものの、仕組み上列車運行事業者による施設管理事業への干渉は起こりえず、平等なアクセス権は担保されているとして訴えが退けられた。また多くの政府が自国の訴追を受け指令遵守に向けて腰を上げたものの、裁判ではポルトガル、スペイン、ハンガリーについてはEU指令が完全遵守されていないと明確に認められ、欧州司法裁判所はこのうちハンガリーとスペインについて2013年2月、「鉄道自由化に失敗している」との判決を下した[6]。敗訴したハンガリーやスペインを含む11か国では訴追以後、再度の法令改正や組織改正、運用の見直しが行われ、国鉄事業の透明化が進められた。
列車運行事業の状況

国鉄の列車運行事業の列車運行事業者への承継にあたっては、多くの国で規模が大きく収益性が高い貨物を旅客から分割した。オープンアクセス義務化の対象外となった国内の地域旅客輸送事業については、多くの国で線区別や地域別にフランチャイズ制を導入し、国や関係地方自治体、またはそれに準じる法人が行う一般競争入札等により運行事業者が決定され列車運行が行われている。またイギリスにあっては承継法人を特に設けず、入札による地域別のフランチャイズ制を導入して駅の営業やダイヤ設定など営業事業全体を純民間事業者に任せる形とした。

現在はすべてのEU加盟国の列車運行事業者が、旧国鉄系および純民間の区別なく他加盟国の国鉄線上における貨物・旅客輸送サービスを手がけることが認められており、各国の輸出入の基軸である鉄道貨物輸送を中心に、数多くの民間事業者が新規に事業参入している。旧ドイツ連邦鉄道(DB)の貨物列車運行事業者、DBシェンカーレール(現DBカーゴ)のイギリス子会社DBシェンカーレールUK(現DBカーゴUK)の子会社、英ユーロカーゴレール(Euro Cargo Rail)がフランスとスペインにおける貨物列車運行事業を手がけるといった、自由化以前には見られなかった国際的な事業展開も一般的となった。

地域旅客輸送事業については、地域別などにさらに分割する国もあったが、旅客を4社分割(2001年)したポーランド国鉄(PKP)では2010年、PKPグループから離脱し国内各県政府共同出資企業となった地域旅客列車事業者の地域交通有限責任会社(PR、現Polregio)と標準軌線施設保有管理事業者であるPKPポーランド鉄道線株式会社(PKP PLK)が対立し列車運行に影響が出た上、同年冬のダイヤ改正ではPKP PLKおよび旅客・貨物列車運行事業者5社間の調整が改正当日までつかずに全国で列車運行が大混乱に陥り[7]、政府の鉄道所管省庁である施設省大臣と、PKPグループ持株会社で国鉄事業の統括を兼ねるPKP株式会社(PKP SA)のCEOが、共に引責辞任に追い込まれる事件も起きた。


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