通称が動労の「国鉄動力車労働組合」、通称が全動労の「全国鉄動力車労働組合」、あるいは国鉄労働組合の支部であり通称が国労千葉の「国鉄労働組合千葉地方本部
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国鉄千葉動力車労働組合
(動労千葉)
National Railway Chiba Motive Power Union
(CMU)
設立年月日1979年(昭和54年)3月30日
組織形態企業別労働組合
組織代表者田中康宏(委員長)
川崎昌浩(書記長)
加盟団体数13支部
組合員数296人
国籍 日本
本部所在地〒260-0017
千葉県千葉市中央区要町2番8号 DC会館内
法人番号2040005000642
加盟組織国鉄動力車労働組合総連合(動労総連合)
全国労働組合交流センター
公式サイト ⇒国鉄千葉動力車労働組合
国鉄千葉動力車労働組合(こくてつちばどうりょくしゃろうどうくみあい、略称:動労千葉(どうろうちば)・千葉動労(ちばどうろう)、英語: National Railway Chiba Motive Power Union、略称:CMU)は、日本の労働組合である。旧・日本国有鉄道(国鉄)千葉鉄道管理局管内、現・東日本旅客鉄道(JR東日本)千葉支社、JR千葉鉄道サービス(CTS)などの労働者で組織する。中核派の強い影響下にあるとされる[1]。 動労千葉の前身である動労千葉地方本部は、少なくとも1972年の2月以降、動労本部と行動することをしなくなっていった。その理由は、「70春闘勝利関東ブロック総決起集会」などにおける暴力行為があったとされる[要出典]。 また、千葉地本による三里塚闘争へのかかわりや水本事件への取り組みも、動労本部と千葉地本との亀裂を深化させた[要出典]。 三里塚闘争(成田空港問題)での新左翼による過激化に対し1979年(昭和54年)に国鉄動力車労働組合(動労)が「三里塚闘争との絶縁」を執行部として決定、これに対し動労千葉地本が反発して闘争継続を決定したため執行部側が地本側の権利停止という事態に至る。これに革マル派が少なからざる(どの程度?)影響力を持っていた動労執行部と中核派の影響下にあった千葉地本のセクト的対立や動労内部での派閥争いも絡み、ついに3月30日に動労は千葉地本執行部を除名・対する千葉地本側も動労から分離して独自の組合を結成した。勢力は、公称OBも含め約600人前後で、千葉県内では船橋市・勝浦市などで地方議員を輩出している[要出典]。 国鉄分割民営化に対しては、国鉄労働組合(国労)同様に反対闘争を展開した。そのため、分割民営化時に国労とともに排除の対象とされた。現在では不採用組合員16人の復帰をめざし、動労千葉争議団を結成し、政治セクトの違いを超えて国労の争議団と共闘している。ただし、かつての四党合意は間違いだったとしており、この件については国労よりもさらに強硬な姿勢で臨んでいる(最近のJR東日本に対する国労の姿勢を「弱腰」と批判している)[要出典]。
概要
本部:千葉県千葉市中央区要町2番8号 DC会館内
執行部:田中康宏(委員長)、川崎昌浩(書記長)
組織:13支部(内訳:JR東日本に9支部、日本貨物鉄道(JR貨物)に2支部、木原線を第三セクター鉄道に転換したいすみ鉄道に1支部、中央支部1支部)
機関誌:年刊『動労千葉』および『日刊動労千葉』
沿革