国鉄ピフ151形貨車
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歯車車(はぐるましゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院・鉄道省等に在籍した事業用貨車歯車緩急車)である。信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠・横軽)のアプト式区間で使用された。
概要

1896年(明治29年)、信越本線の輸送力増強に伴って機関車のみでは不足するブレーキ力を補うため、二軸有蓋車の改造や新製によって製作されたラックレール区間専用の緩急車である。1909年(明治42年)までに3形式15両が製作された。

種車の一軸はそのままとし、撤去した一軸の部分に2軸の台枠を設けて三軸とし、その2軸の間にラックレールと噛み合う小歯車(ピニオン)を設置した。ブレーキ装置は、通常車輪に作用する手ブレーキと歯車軸に設けられた円筒に作用するドラムブレーキ、さらに非常用として歯車に直接作用するバンドブレーキが設けられた。車内には粘着力を増すため死重が積まれるとともに、ブレーキ装置を冷やすための散水用水タンクが設置された。主に機関車次位に連結して使用され、峠を下る際には必ず制動手が乗務した。

当初の記号は「ピブ」と称したが、1911年(明治44年)の鉄道院車両称号規程制定時には「ピフ」となった。記号の「ピ」は、英語で歯車を表すピニオン(pinion)から採られている。

その後、多客期に旅客を乗せるため、側面に窓と扉、車内に座席、屋根には油灯入れが設けられた。横軽区間の電化により、電気機関車牽引となって暖房用蒸気の供給源が失われるため、1921年(大正10年)から1922年(大正11年)にかけて7両に対し、車内の空きスペースに蒸気供給用ボイラーが設置された。

1928年(昭和3年)に実施された車両称号規程改正時には、記号は「ピ」に改められ、2形式に統合されたが、暖房用ボイラーを設置した車両の区別はされなかった。

この頃になると、空気ブレーキといった貫通ブレーキを備えた車両も多くなったため不要となり、1931年(昭和6年)10月15日から本車種の使用が停止され[1]、ボイラー非搭載車は廃車となった。暖房用ボイラーを設置していた車両は、歯車装置を撤去して暖房車客車)に類別変更され、さらに翌1932年(昭和7年)には3軸から2軸に改造された。1937年(昭和12年)には、仙山線作並 - 山寺間開業に伴って、2両が作並機関区に転属している。

戦後は、車齢60年を超えて老朽化が目立つようになったため、1958年(昭和33年)に歯車車由来の暖房車はヌ200形に置き換えられて全廃された。
形式

前述のように、歯車車としては15両が存在した。概要は次のとおりである。
鉄道作業局ピブ1形→鉄道院ピフ140形→鉄道省ピ1形

1896年(明治28年)、鉄道作業局新橋工場において4両が製作され、その後2両が追加された。種車は、トレビシック略図のBH形有蓋車である。1902年(明治35年)の改番によりピブ1形(ピブ1 - ピブ6)となり、1911年(明治44年)の改番ではピフ140形(ピフ140 - ピフ145)となった。1921年(大正10年)から翌年にかけて、5両(ピフ140 - ピフ142, ピフ144, ピフ145)に暖房用ボイラーが設置された。1928年(昭和3年)の改番では番号順にピ1形(ピ1 - ピ6)とされたが、ボイラー非搭載車との区別はされなかった。

1931年(昭和6年)の歯車車運用停止後は、ボイラー搭載車は歯車装置を撤去して客車のヌ9050形(ヌ9050 - ヌ9054)に改造され、非搭載のピ4は1932年(昭和7年)12月8日に廃車となった。暖房車となった5両についても、1932年(昭和7年)12月に大宮工場で二軸車に改造され、ヌ6000形(ヌ6000 - ヌ6004)に改称された。1953年(昭和28年)の改番では、ヌ600形(ヌ600 - ヌ604)となったが、老朽化のため、1958年(昭和33年)5月30日付けで全車廃車となった。
鉄道作業局ピブ2形→鉄道院ピフ146形→鉄道省ピ1形

1898年(明治31年)度に、鉄道作業局新橋工場で5両が新製された歯車車[2][3]で、1902年(明治35年)の改番ではピブ2形(ピブ7 - ピブ11)とされた。形態は、ピブ1形とほぼ同様であった。


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