信託統治(しんたくとうち、英語: United Nations Trust Territories)は、国際連合の信託を受けた国が、国際連合総会および、信託統治理事会による監督により、一定の非独立地域を統治する制度である。国連憲章第75条に規定された制度である[1]。国際連盟における委任統治制度を発展させて継承したもの。 国際連合の信託を受けて統治を行う国は施政権者という。施政権者は、1か国の場合が多いが2か国以上の共同統治も委任統治から引き続き認められた。また、国際連合自身が施政権者となることも認められているが、まだ実例はない(後述のナミビアの例やパレスチナ分割決議の審議過程におけるエルサレムのように、提案はされていた)。 施政権者は具体的には、委任統治時代から引き継がれるイギリス・フランス[2]・オーストラリア・ニュージーランド・ベルギーのほか、新たにアメリカやイタリアも施政権者に認められた。 なお、計画段階においてはソ連や中国(当時は中華民国政府)も施政権者になる予定だった(後述)。 信託統治制度が適用される地域は、信託統治地域または、信託統治領という。 信託統治地域は以下の 3 つの類型がある。 以下の地域が信託統治地域とされた。1994年10月のパラオ独立で信託統治は全て終了し、信託統治理事会は活動休止となった。
施政権者
委任統治との相違
監督権限の強化。
施政権者に対する監督事務を行う信託統治理事会は、3年に1度、各地域を視察して住民に対する人権侵害や搾取がないか自治・独立に向けた施政が行われているかを調査することとした。
地域住民から国際連合への請願制度を創設。
委任統治では、住民からの請願を受理するのは受任国の役目で、国際連盟は関与しなかった。これに対し、信託統治では、住民からの請願を国際連合が受理することで、施政権者の不正を察知してこれを正すことが可能となった。
軍事利用の部分的許可。
委任統治ではいかなる場合も軍事利用は禁止されていたが、信託統治では国際連合憲章82条以下に規定される「戦略地区」に指定される(戦略区域信託統治領)ことで、安全保障理事会の管轄下に置かれた上で施政権者の軍事的利用が認められ他国の立ち入りを随時に制限することもできた。
信託統治地域
類型
国際連合憲章の発効時(1945年10月24日)において委任統治されている地域。
該当するほとんどの地域が信託統治領となったが、パレスチナ問題によるテロの激化によってイギリスが国連に処遇を委ねたイギリス委任統治領パレスチナと、南アフリカ連邦が移行を拒否したナミビアは信託統治とならなかった。
第二次世界大戦の結果、敗戦国から分離される地域。
実例は旧イタリア領のソマリランドのみ。
なお、敗戦国が委任統治していた地域を含むと旧大日本帝国領の太平洋諸島がある。
当該地域の施政について責任を有する国が自発的に信託統治制度の下に移行させた地域。
実例は存在しない。
カメルーン
イギリスとフランスにより分割統治。
フランス領カメルーンは1960年1月1日にカメルーン共和国として先に独立。
イギリス領カメルーンは住民投票の結果、北部は1961年6月1日にナイジェリアに編入。南部(南カメルーン)は同年10月1日に東隣りのカメルーン共和国と統合してカメルーン連邦共和国(現・カメルーン共和国)となった。
ソマリランド
イタリアが施政権者。
元々はイタリア領ソマリランドであったが、同国が第二次世界大戦で敗戦国となったため、1950年よりイタリア信託統治領ソマリアとして信託統治下に置かれることとなった。
1960年7月1日、同年6月に先に独立していた旧英領のソマリランド国と合併してソマリア共和国(現・ソマリア連邦共和国)として独立した。
タンガニーカ
イギリスが施政権者。
1961年12月9日にタンガニーカ(現・タンザニア連合共和国)として独立。
トーゴランド
イギリスとフランスにより分割統治。
イギリス領トーゴランドは、1957年3月6日に隣のイギリス領ゴールドコーストと共にガーナ王国(現・ガーナ共和国)として先に独立。
フランス領トーゴランドは、1960年4月27日にトーゴ共和国として独立した。
ルアンダ=ウルンディ
ベルギーが施政権者。
1962年7月1日、北部はルワンダ共和国として、南部はブルンジ王国(現・ブルンジ共和国)として分離独立した。
ナウル
オーストラリア、ニュージーランド、イギリスによる共同統治。
1968年1月31日にナウル共和国として独立。
ニューギニア
オーストラリアが施政権者。
1949年、ニューギニア島南東部の豪領パプアと行政単位を統合。そのまま1975年9月16日にパプアニューギニア独立国として共に独立した。
西サモア
ニュージーランドが施政権者。
1962年1月1日に西サモア(現・サモア独立国)として独立。
太平洋諸島
アメリカが施政権者。
委任統治時代の受任者は日本であったが、第二次世界大戦で日本が敗戦国となったためアメリカに受任者が変更された。
前項の「戦略地区」に指定された唯一の地区であり、アメリカ合衆国が拒否権を持つ安全保障理事会の管轄下に置かれ、アメリカの軍事的利用が認められていた。
アメリカは当初、この地域を一括してミクロネシア連邦として独立させる計画で、1965年には住民自治立法機関であるミクロネシア議会を設立した。しかし、1978年起草の「ミクロネシア憲法」草案が住民投票に掛けられた際にマーシャル地区・北マリアナ地区・パラオ地区がこれを拒否したため、太平洋諸島は4地域に分かれることとなった。
1986年、アメリカと自由連合盟約を結んだ上で10月21日にマーシャル諸島共和国が独立。同年11月3日にはミクロネシア連邦(当初計画のものと別)が独立した一方で、北マリアナ地区は自治領としてアメリカ領にとどまることを決定し、北マリアナ連邦(現・北マリアナ諸島自治連邦区)となった。パラオ地区は自由連合盟約承認が遅れ、1994年10月1日になってパラオ共和国として独立した。
信託統治が検討・提案された地域
リビア
旧イタリア領リビア。
第二次世界大戦でイタリアが敗れたことにより、1942年からリビアはイギリスとフランスによる分割統治下に置かれた。終戦後の1949年、イギリスがリビアをフランス・イタリアと共に信託統治領として分割することを国連総会で提議したが否決された。
その直後には東部がキレナイカ首長国として独立宣言を行うが、事実上イギリスの傀儡政権であり国際社会から承認を得られなかった。同年12月、国連総会でリビアを統一して独立させることが決議され、1951年にリビア連合王国(現・リビア国)が成立した。