国連ビル
[Wikipedia|▼Menu]

国際連合本部ビル
Headquarters of the United Nations

.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
情報
用途国際連合の本部機能(事務及び総会に使用)
設計者国際連合本部ビル設計委員会
階数39階[1]
高さ153.9メートル[1]
着工1948年9月14日[1]
竣工1952年10月9日[1]
所在地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区国連広場760号
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度44分58秒 西経73度58分5秒 / 北緯40.74944度 西経73.96806度 / 40.74944; -73.96806座標: 北緯40度44分58秒 西経73度58分5秒 / 北緯40.74944度 西経73.96806度 / 40.74944; -73.96806
テンプレートを表示
ニューヨークイースト川から眺める国際連合本部ビル。左の高い建物が事務局ビル、右の低い建物が総会ビル。

国際連合本部ビル(こくさいれんごうほんぶビル、英語: Headquarters of the United Nations)は、国際連合の本部が入るビル群。アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークにある。マンハッタンの東辺タートル・ベイ(英語版)に位置し、その敷地は西は1番街・東はイースト川・北は48丁目東・南は42丁目東に囲まれている。主に地上39階・地下3階建ての事務局ビルの他に総会会議場・理事会会議場・図書館から成る。
立地

国際連合は第二次世界大戦終結から1か月半後の1945年10月24日に発足したが、アメリカ連邦議会は同年12月10日に国際連合本部を同国に誘致することを全会一致で決めた。その他の加盟国も誘致活動を行ったが、1946年2月10日から同月14日にかけてロンドンで開催された第1回国連総会(第1部)は、2月14日の決議 (A/RES/25 (I)) で国際連合本部はニューヨーク近郊の「ニューヨーク州ウェストチェスター郡及び/又はコネチカット州フェアフィールド郡に置かれるものとする」とした[2]。しかしフランスイギリスオランダは当初国際連合本部をアメリカに置くことに反対していた[3]。ニューヨークが選ばれたのも、各国国連代表部の暗号公電・訓電をアメリカが盗聴するのに都合が良かったからだと云われている[4]。詳細は「UKUSA協定#歴史」を参照

1946年後半に国際連合の立地選定のための特別委員会がフィラデルフィアボストンサンフランシスコなどの候補地を視察したが、第1候補地はニューヨークの北方と決まった。当初は人口密度の高いマンハッタンは考慮されていなかったのである[5]。ところがジョン・ロックフェラー2世が同年12月になってユダヤ系[6]アメリカ人の不動産業者ウィリアム・ゼッケンドルフ(英語版)が所有[7]する現在の場所を購入する費用850万ドルの提供を申し出たことにより、同月14日にニューヨークのクイーンズ区フラッシングで開催されていた第1回国際連合総会(第2部)で前の決議を変更して、同土地を国際連合本部の場所とすることが決議された (A/RES/100 (I))[8]
建設

国際連合は本部ビルの建設に当たってコンペを実施せず、各国の一流の建築家を集めて共同チームを結成することとした。アメリカの建築家ウォレス・ハリソン(英語版)が計画責任者に指名され、加盟国の推薦により設計委員会が選定された。設計委員会のメンバーにはソ連の N・D・バソフ、ベルギーのガストン・ブルンファウト、カナダのアーネスト・コーミア(英語版)、フランスル・コルビュジエ中華民国梁思成スウェーデンスヴェン・マルケリウスブラジルオスカー・ニーマイヤーイギリスハワード・ロバートソンオーストラリアの G・A・ソイリュー、ウルグアイのフリオ・ヴィラマホ(英語版)が名を連ねた[5]

1947年からハリソンと設計委員会のメンバーはロックフェラー・センターのオフィスで設計作業を開始し、約50の基本デザインを作成・検討した。敷地は比較的手狭であったので、事務局ビル(英語版)を高層化する必要があったが、これを42番ストリート沿いの公共交通機関からのアクセスを考慮して敷地南側に配置した。なお南北に長い向きとなったのは見栄えの配慮もあるが、東西に長くすると敷地全体への日照を妨げるためでもあった。国際連合本部はニューヨークの建築法規に法的に拘束されないが、防火基準など基本的な点においてはニューヨーク市の条例に沿った設計となっている。当初の建築予算は約8500万ドルだったが、トリグブ・リー事務総長の指示により、2000万ドル予算をカットすることとなり、事務局ビルは45階建てから39階建て・会議室スペースを減らす・図書館には既存の建物を利用することとした[5]。こうして1947年11月20日に総会で予算6500万ドルの国際連合本部建設計画が承認され、その資金全額につき連邦政府から無利息で貸付けを受けることとなった[9]

こうして予定地の居住者の立ち退き・建物の取り壊しなどが始まった。1949年1月にニューヨークの4大建設業者の合弁事業との間で建設請負契約が交わされ、同年10月24日の国際連合デーにアメリカのトルーマン大統領立会いのもとでリー事務総長によって定礎式が行われた。礎石には当時の5公用語(英語フランス語ロシア語中国語スペイン語)での「国際連合」の名称とローマ数字で表記された日付が刻まれ、金属製の定礎箱には国際連合憲章世界人権宣言などの文書が入れられて事務総長と計画責任者のハリソンによって封印がされ、国際連合本部の敷地の南端の図書館ビルの東側の地下に据えられた。1950年8月21日に事務局職員がオフィスに入居を開始したが[5]、全ての建物が完成したのは1952年のことだった[10]

その後1961年にダグ・ハマーショルド図書館(英語版)が完成した。また加盟国の増加により内装も変更が必要となった。設計当初は70か国までの増加を想定していたが、完成から3年後の1955年にはすでにこれを超えてしまったため、1964年に300万ドルをかけて大改装を行い、議場スペースを拡張するとともに126か国まで対応可能なスペースを作った。1976年には1500万ドルの予算で総会議場その他の会議場を拡張する改装が総会で承認され、1980年9月に完成した。1981年6月には総会議場の北側に広がる芝地の地下に文書複写センターが工費2560万ドルをかけて建設され、翌年には、事務局ビルの南東側、イースト川を見下ろす場所にカフェテリア・会議室などを設けた2階建ての建物が870万ドルをかけて建設された[5]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:49 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef