国立霞ヶ丘競技場陸上競技場
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「旧国立競技場」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「世界の国立競技場一覧」をご覧ください。

国立霞ヶ丘競技場陸上競技場
国立

施設情報
所在地東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分41秒 東経139度42分53秒 / 北緯35.67806度 東経139.71472度 / 35.67806; 139.71472
開場1958年3月30日
閉場2014年5月31日
所有者日本スポーツ振興センター
グラウンド天然芝 (107 x 71 m)
ピッチサイズ105 x 68 m
設計者建設省関東地方建設局営繕部建築第一課[1]
(角田栄[2]片山光生[3][4][注 1]
建設者大成建設[3][4]
使用チーム、大会
1964年東京オリンピック
1991年世界陸上競技選手権大会
サッカー日本代表
ラグビー日本代表
その他多数(利用項参照)
収容人員
50,339人→54,224人[注 2]
(最多:2014年3月21日・22日 L'Arc?en?Ciel 80,000人)

国立霞ヶ丘競技場陸上競技場(こくりつかすみがおかきょうぎじょうりくじょうきょうぎじょう、: NATIONAL STADIUM[7])は、東京都新宿区国立霞ヶ丘競技場内にあった、独立行政法人日本スポーツ振興センター (JSC) によって運営される陸上競技場および球技場建て替えのため2014年5月に閉鎖、その後、解体された。

一般には国立競技場として知られ、2019年竣工の競技場と区別して旧国立競技場と呼称される。
歴史旧国立競技場の白黒空中写真(1963年6月26日撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

明治神宮外苑国立霞ヶ丘競技場青山霊園のある一帯は、江戸時代には青山氏大名屋敷敷地であった。明治維新を経た1886年(明治19年)に、敷地跡の北側に青山練兵場が設けられた。明治天皇崩御後に練兵場に明治神宮外苑を建設することとなり、その敷地の一部を用いて1924年大正13年)に明治神宮外苑競技場が設けられた。この競技場は陸上競技に広く使われ、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)10月21日には学徒出陣の壮行会会場となった[注 3]

1945年(昭和20年)の日本の敗戦後は連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に接収されて、『ナイル・キニック・スタジアム』という名称で使用された。1952年(昭和27年)の接収解除後は再び一般に開放され、明治神宮外苑部の管理下となった[8]1958年アジア競技大会国民体育大会の会場とすることが決まり、1956年昭和31年)に明治神宮から文部省に譲渡され[9][10]、新設の競技場が整備された。

競技場は1957年(昭和32年)1月に起工し、アジア大会前の1958年(昭和33年)3月に竣工した。フィールドは、国産アンツーカが利用された。同年アジア大会を開催し、翌1959年(昭和34年)には東京国体のメインスタジアムとして陸上競技が開催された。その後1964年昭和39年)に開催された東京オリンピックのメインスタジアムとして使用されることとなり、これにあわせてスタンドの増築が行われた(拡充費用は11億7800万円[11][12])。東京オリンピック陸上男子10000メートル

1958年(昭和33年)からは日本陸上競技選手権大会が開催されるようになり、2005年(平成17年)まで断続的に会場として利用された。1980年(昭和55年)から2001年(平成13年)までは、トヨタ・カップの会場として用いられた。1991年には世界陸上競技選手権大会(世界陸上)が開催された。

国立霞ヶ丘陸上競技場は日本を代表する大型スタジアムとして利用されてきた。同規模の5万人の観衆を収容できるスタジアムは1924年開場の阪神甲子園球場を別にすれば長らく存在せず、野球中心の屋根付き施設である1988年(昭和63年)の東京ドーム、陸上競技場では1994年アジア競技大会開催に向け建設された1992年(平成4年)の広島広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)開場を待たねばならなかった。

2002年(平成14年)に開催された2002 FIFAワールドカップの計画案においても、国立霞ヶ丘陸上競技場を会場として利用することが検討されたが、国際サッカー連盟(FIFA)が要求する会場仕様として「観客席の3分の2以上に屋根が架設されること[13]」が条件に挙げられていたため、候補から外された。過去の大会では、1960年ローマオリンピックのメインスタジアムであったスタディオ・オリンピコや、1936年ベルリンオリンピックのメインスタジアムであったオリンピアシュタディオンのように、改装により屋根を架けた例もあるが、予算等の問題から改装はおこなわれなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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