国立近代美術館_(フランス)
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国立近代美術館
Musee national d'Art moderne (MNAM)
ポンピドゥー・センター(青、白、赤の構造物が屋上にある建物)
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施設情報
専門分野近代美術・現代美術(20?21世紀)
収蔵作品数約100,000点
来館者数約3,300,000人 (2016年)
延床面積18,700 m2 (常設展・企画展; 28,000 m2: 美術館関連の施設全体)
開館1947年 (1977年、ポンピドゥー・センター内に移動)
所在地Place Georges Pompidou, 75004 Paris
パリ4区, イル=ド=フランス地域圏
ポンピドゥー・センター
フランス
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度51分38秒 東経2度21分08秒 / 北緯48.86056度 東経2.35222度 / 48.86056; 2.35222座標: 北緯48度51分38秒 東経2度21分08秒 / 北緯48.86056度 東経2.35222度 / 48.86056; 2.35222
外部リンクhttps://www.centrepompidou.fr/
プロジェクト:GLAM
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国立近代美術館 (こくりつきんだいびじゅつかん; Musee national d'Art moderne: MNAM) は、パリ4区の総合文化施設「ポンピドゥー・センター」内にある20?21世紀の近現代美術の作品を所蔵・展示する美術館である。

ピカソカンディンスキーマティスシャガールレジェミロダリデュビュッフェウォーホルモンドリアンニキ・ド・サンファルなどの作品をはじめとする約100,000点の作品を所蔵し[1]、近現代美術のコレクションとしては欧州最大、世界的にもニューヨーク近代美術館 (MoMA) に次いで第二の規模である[2]

通常、同センターの5階に近代美術、4階に現代美術の作品を展示し(常設展)、6階で企画展を行っている[3]

1992年1969年に設立されたインダストリアル・デザインに関するフランス文化機関「産業創造センター(フランス語版)(CCI)」が国立近代美術館に統合され、CCIのコレクションが同美術館に収蔵された[4]

1956年に彫刻家コンスタンティン・ブランクーシが国家に寄贈し、1997年レンゾ・ピアノにより再建されたアトリエ・ブランクーシ(ポンピドゥー・センター広場脇)も国立近代美術館の一部である[5]
歴史
旧リュクサンブール美術館

国立近代美術館の起源は、1750年ルイ8世がフランス最初の美術館として設立したリュクサンブール美術館に遡る。1818年にリュクサンブール美術館が所蔵する作品のうち、没後10年を経た画家の作品はルーヴル美術館に移動することになり、リュクサンブール美術館はこれ以外の画家の作品を所蔵するフランス最初の現代美術館(生存画家美術館)となった[6][7]

とはいえ、1880年までは、展示作品は主にサロンが購入したものであり、宮廷趣味を反映した古典主義的な歴史画肖像画風景画など、既存のジャンルの作品がほとんどであった。したがって、クールベミレーなどの新しい傾向の画家の作品が画家の家族や美術品収集家らによって寄贈され、収蔵品に含められるようになったのは、1880年のサロンの民営化以降のことである。また、これ以後は、ウィンスロー・ホーマーホイッスラーなどのフランス国外の画家の作品も収集し、まとまったコレクションになった1922年ジュ・ド・ポーム国立美術館に移動し、外国人画家の特別な展示室が設置された[7]

一方、1886年にリュクサンブール美術館の近くのフェルー通り(パリ6区)にあったオランジュリー(オレンジ栽培用温室; パリ1区オランジュリー美術館のオランジュリーとは異なり、「オランジュリー・フェルー」と呼ばれていた)を改装して現代美術館が設立され、リュクサンブール美術館の所蔵品の一部をこちらに移動した[8]
パリにある2つの近代美術館

― 国立近代美術館とパリ市立近代美術館

やがて、リュクサンブール美術館も別館の現代美術館も手狭になり、建築家オーギュスト・ペレ1929年から30年にかけてトロカデロ宮殿(フランス語版)の敷地に「美術館シテ」を建設する予定であったが、最終的にペレがこれを断念すると、1932年、当時、リュクサンブール美術館の学芸員であった美術史家のルイ・オートクール(フランス語版)が新しい近代美術館の設立を提案した。一方、フランス政府も、王室の絨毯を製造していたサヴォヌリー工場の跡地に国立近代美術館を建てる計画を発表したため、2つの構想がかち合い、結局、パリ万国博覧会に合わせて建設する建物にパリ市立近代美術館と国立近代美術館を併設することになった。1937年アルベール・ルブラン大統領により「近代美術宮殿」として落成し、後にパレ・ド・トーキョーと改名された[9][10]

ただし、国立近代美術館は仕上げ工事が必要であり、しかも戦争のため工事が中断されたために、1939年に予定されていた開館式が1942年まで延期され、1942年の開館も部分的なもので、軍政が敷かれていた占領地域の倉庫から取り寄せることができた作品は全体の3分の1程度であった。1922年にジュ・ド・ポーム国立美術館に移動した外国人画家の作品も、戦時中はシャンボール城に移動して保管していたため、展示することができなかった[11]
開館 (1947)

戦後、パリ市立近代美術館は1946年3月15日に再開し、「芸術とレジスタンス」と題する企画展を皮切りに活動を再開したが、国立近代美術館が再びシャンボール城から運び出した作品を併せて開館式を行ったのは1947年6月9日のことであった。

1974年、国立近代美術館の所蔵品のうち、フォーヴィスム1905年)以降の作品をポンピドゥー・センターに移動し、1977年に同センターが開館した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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