国立歴史民俗博物館
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大阪府の「民博」こと「国立民族学博物館」とは異なります。

国立歴史民俗博物館
National Museum of Japanese History
本館 国立歴史民俗博物館
1.京成佐倉駅、2.JR佐倉駅 Wikimedia maps を表示.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}国立歴史民俗博物館 (千葉県) 千葉県地図を表示国立歴史民俗博物館 (日本) 日本地図を表示
施設情報
愛称歴博、れきはく
専門分野日本文化歴史民俗学考古学
管理運営大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
開館1981年4月14日
所在地285-8502
千葉県佐倉市城内町117
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分28.19秒 東経140度13分8.69秒 / 北緯35.7244972度 東経140.2190806度 / 35.7244972; 140.2190806座標: 北緯35度43分28.19秒 東経140度13分8.69秒 / 北緯35.7244972度 東経140.2190806度 / 35.7244972; 140.2190806
外部リンク ⇒国立歴史民俗博物館
プロジェクト:GLAM
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国立歴史民俗博物館(こくりつれきしみんぞくはくぶつかん、英語: National Museum of Japanese History, 略称:れきはく、歴博)は、千葉県佐倉市佐倉城趾にある、日本歴史民俗学考古学を総合的に研究・展示する歴史博物館。国立の研究機関かつ教育機関で、人間文化研究機構が運営している。展示総件数は約9千件、収蔵資料件数は約22万件[1]。建物は芦原義信の設計で、第24回BCS賞を受賞した[2]
概要博物館 入口

古文書古記録、絵図といった歴史資料考古資料民俗資料等約9千点の資料を展示し、更に約22万点の収蔵資料を保存している[1]。「考古、歴史、民俗」の3分野を展示の柱とし、常設展示は日本列島に人類が暮らし始めた数万年前から高度経済成長後の1970年代までの日本の歴史と文化についてが中心である。

大学における学術研究の発展及び資料の公開等一般公衆に対する教育活動のための大学共同利用機関として1981年(昭和56年)4月14日に設置され[3]、調査研究の成果を展示する博物館としての一般公開は2年後の1983年(昭和58年)3月から始まった[4]

また、大学院生の教育機関でもある。1999年(平成11年)度から総合研究大学院大学の文化科学研究科日本歴史研究専攻博士後期課程を担当し学生の教育も行っている[5]

博物館の設計は芦原建築設計事務所が行っており、第24回BCS賞を受賞している[2]。敷地面積129,496m2、延床面積35,548m2、建築面積17,124m2。周辺は佐倉城址公園として整備され、佐倉連隊当時に平削・埋立された遺構の一部(馬出し、空堀、土塁等)が復元されている[6]
設立の経緯

日本には明治時代から東京、京都奈良の3か所に美術系の博物館である帝室博物館(後の東京国立博物館京都国立博物館奈良国立博物館)が存在したが、これらとは別に歴史系の国立博物館を設置すべきだとの意見は早くからあった。歴史学者黒板勝美は既に昭和戦前に国立歴史博物館の必要性を訴えていた。しかし、国立の歴史系博物館の設置構想が具体化するのは第二次世界大戦後のことであった。

1966年昭和41年)、日本国政府は「明治百年」記念事業の一環として歴史民俗博物館の設置を決定し[4]、以後、学識経験者らによって建設地、展示内容などが検討され始めた。1971年(昭和46年)には文化庁内に博物館設置のための基本構想委員会が置かれ[4]1978年(昭和53年)には同じく文化庁内に国立歴史民俗博物館設立準備室が設置されて、ようやく開館へ向けての準備が本格化した。同準備室の室長は歴史学者で東京大学名誉教授の井上光貞であった[4]。「考古、歴史、民俗」の3分野を展示の柱とすること、博物館は大学共同利用機関とし、調査研究機能を充実することといった歴博の基本コンセプトは、井上の発想によるところが大きい[6]。建設地は、江戸時代には佐倉藩藩庁が置かれており、明治年間には陸軍佐倉連隊の施設が置かれていた歴史ある地として佐倉城址の一角に決定し、敷地一帯の発掘調査と整備が行われた[6]

国の機関としての国立歴史民俗博物館は1981年(昭和56年)に発足し、井上光貞が初代館長となった。ただし、博物館としての一般公開が始まるのは2年後の1983年(昭和58年)3月のことである[4]。初代館長であり、歴博の設置準備において終始指導的立場にあった井上は一般公開開始直前の同年2月に急逝し、東京大学文学部教授の土田直鎮が第2代館長となった[4]

2004年(平成16年)4月1日の国立大学の法人化と同様に国文学研究資料館国際日本文化研究センター総合地球環境学研究所国立民族学博物館等と連携して大学共同利用機関法人人間文化研究機構を創設した[4]。設置の法的根拠は、国立大学法人法第2条第3項及び第4項、並びに第5条。
歴代館長
井上光貞(1981年4月 - 1983年3月)

土田直鎮(1983年4月 - 1993年1月)

石井進(1993年3月 - 1997年9月)

佐原真(1997年9月 - 2001年8月)

宮地正人(2001年9月 - 2005年8月)

平川南(2006年4月 - 2014年3月)

久留島浩(2014年4月 - 2020年3月)

西谷大(2020年4月 - 現職)

組織と理念

歴博は開館当初から国立大学共同利用機関として位置付けられた。歴史資料の展示公開を行うことが重要な業務だが、歴博は展示施設であるとともに考古学歴史学民俗学の研究機関でもあり、他の研究機関や大学と共同で研究を推進し、調査研究の基盤のもとに展示を行うことが重視された。

歴博は組織上も研究を重視し、開館当初は情報資料研究部、歴史研究部、考古研究部、民俗研究部が置かれた。このうち情報資料研究部は展示資料の材質、技法、保存修復、博物館運営におけるコンピュータの活用、展示手法の研究などを行う部門である。各研究部はそれぞれ4から6の部門に分かれ、それぞれの部門に教授、助教授、助手[注釈 1]が配置された。2004年に歴博が大学共同利用機関法人人間文化研究機構の所管になるとともに、研究組織の改組が行われ[4]、新設の「研究部」のもとに情報資料研究系、歴史研究系、考古研究系、民俗研究系が置かれた。
展示『江戸図屏風』左隻(17世紀)木戸孝允伊藤博文ら肖像写真(館内展示)

歴博の展示は概論的なものになることを避け、各時代ごとにその時代を象徴するようないくつかの事物[注釈 2]を取り上げたテーマ展示が主体となっている。展示室は常設展示の第1 - 第6展示室と、企画展示室に分かれている。常設展示は対象を高校生以上と想定。ジオラマを含む復元模型やレプリカを多用しているのが特色である[7]。日本の文化財には、脆弱な素材である紙、木、繊維などから構成されているものが多いため、歴博の常設展示においては土器石器のような長期展示可能なものを除いて、実物資料の代わりに実物とほとんど見分けのつかない精巧なレプリカが多用されている。常設展示されていない実物資料は企画展示で公開される場合[注釈 3]がある。

2019年現在[update]の総合展示[8]:

第1展示室 先史・古代(旧石器時代-奈良時代

最終氷期に生きた人々 / 多様な縄文列島 / 水田稲作のはじまり / の登場 / 倭の前方後円墳と東アジア / 古代国家と列島世界 /

副室1:沖ノ島 / 副室2:正倉院文書


第2展示室 中世(平安時代-安土桃山時代

王朝文化 / 東国西国 / 大名一揆 / 民衆の生活と文化 / 大航海時代のなかの日本 / 印刷文化


第3展示室 近世(江戸時代

国際社会のなかの近世日本 / 都市の時代 / ひとともののながれ / 村から見える「近代」/ 絵図・地図にみる近世 / 寺子屋「れきはく」(体験コーナー)


第4展示室 民俗(列島の民俗文化)

「民俗」へのまなざし / おそれと祈り / くらしと技


第5展示室 近代(明治時代-昭和初期)

文明開化 / 産業と開拓 / 都市の大衆の時代


第6展示室 現代(戦争-高度経済成長

戦争と平和 / 戦後の生活革命



朱印船(末次船)復元模型

東三条殿復元模型

几帳壁代

円座



寝殿造時代の工具

鎌倉時代長押法隆寺

大鋸

特殊器台・特殊

沖ノ島祭祀遺跡17号模型


収蔵品後陽成天皇筆『鷹攫雉図』平田篤胤仙境異聞』「七生舞の図」年光筆『北京附近北倉激戰圖』


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