国立彫像ホール・コレクション
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国立彫像ホール・コレクションの一部

国立彫像ホール・コレクション(こくりつちょうぞうホール・コレクション、英:National Statuary Hall Collection)は、アメリカ合衆国議会議事堂にあって、全米50州の歴史の中で著名な人物の栄誉を称えるために各州から寄贈された彫像の展示である。当初は下院の古い議場にあったが、国立彫像ホールと改名されて、それ以来議事堂中に置かれるようになった。

2006年時点で、コレクションは50州からそれぞれ2体、合計100体となっている。2005年にニューメキシコ州からの2体目が寄贈され完成した。カンザス州は連邦議会が置き換えを承認した数年後に最初の2体のうちの1つを置き換えた。

2005年12月1日に署名された連邦議会の特別法によって連邦議会図書館合同委員会に指示してローザ・パークスの彫像を取得し、議事堂内国立彫像ホールの然るべき恒久的な場所に展示することとした[1]
歴史

国立彫像ホールの考えは19世紀半ばに端を発し、1857年に現在の下院翼が完成するさらに前のことだった。当時、下院が新しい大きな議場に移動し、古い空間となった部屋はロタンダと下院翼の間の通路になっていた。1853年には既に元下院議員のガバヌーア・ケンブルがこの部屋を歴史的絵画のギャラリーとして利用することを提案していた。柱の間のスペースがこの目的のためには非常に限られているように思われたが、胸像や彫像の展示には向いていた。

1864年4月19日、下院議員ジャスティン・S・モリルは、「利用価値があってあるいは威厳があり、また同時に単純で費用も掛からない目的のために、各州がその長く続く記念のために価値あると選んだ彫像を受け入れる場所としてこの部屋を取って置いてはどうだろうか?」と質問した。この国立彫像ホールを創るという提案が1864年7月2日に下記のような法律になった。...大統領はここに、全州のそれぞれから、その州の市民であった故人で、この国の記念に相応しいと考える歴史的名声で、あるいは文民または軍人の傑出した功績で優れた者の大理石また青銅の彫像を、各州2体を超えない範囲で制作し、備えることを認める。また上述のものを備えるときは、ここに示す目的のために国立彫像ホールとして、アメリカ合衆国議会議事堂の下院旧議場を宛て、必要な場合は議事堂の多くを宛てる。

当初は全州の彫像が国立彫像ホールに置かれた。しかしホールの美的外観がその混雑のために損なわれ、1933年には耐え難い状態になった。当時65体が飾られ、ある場合には前後に3列にもなった。さらに重要なことは部屋の構造強度のためにこれ以上増えると支えられないことだった。かくして1933年に連邦議会は、次のような決議案を成立させた。議事堂の建築家は、連邦議会図書館合同委員会の承認と美術委員の助言により、既に受け入れて彫像ホールに置かれている彫像を議事堂内に移し換え、今後各州から受け入れる彫像の受け入れと設置に備えることを承認し指示する。ロバート・フルトンの大理石像、(作)ハワード・ロバーツ

この決議案の承認で、各州から1体ずつの彫像が彫像ホールに置かれることが決められた。もう1体には議事堂の指定された空間や廊下にある目立つ場所を与えられた。1976年には連邦議会図書館合同委員会の承認で2回目の調整が行われた。コレクションの込み合った外観を改善するために、彫像ホールにはその高さや素材によって38体が再配置された。独立当時13州のうちの10州の彫像が議事堂1階東前拡張部の中央ホールに移動された。彫像の残りは議事堂中の主に柱の間と上院翼と下院翼を繋ぐ廊下に配置された。2005年の立法で、アメリカ合衆国領土から各1体の彫像を受け入れることを承認し[2]、別の法案でコロンビア特別区も含めることとなった[3]

彫像のそれぞれは州からの寄贈品であり、個人や市民のグループのものではない。彫像を寄贈する手続きは、各州議会で記念すべき市民を指名してその資格要件を列挙し、彫刻家を選別する州を代表する委員会または委員を指定し、その決議を実行するための必要な予算を与える決議を採択することで始まる。近年、彫像はロタンダでの儀式で除幕され、そこに6ヶ月間展示される。その後連邦議会図書館合同委員会で承認された恒久的な場所に移動される。2000年に連邦議会で成立した法によって、各州は既に寄贈した彫像の置き換えと回収を認められるようになった。
コレクション

州顕彰者素材   彫刻家設置年   展示場所
アラバマ州ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリー大理石ダンテ・ソディニ1908年柱の間
ジョセフ・ウィーラー青銅バーソルド・ネベル1925年彫像ホール
アラスカ州ボブ・バートレットフェリックス・ド・ウェルドン1971年下院廊下2階
アーネスト・グリューニングジョージ・アンソニセン1977年柱の間
アリゾナ州ジョン・キャンベル・グリーンウェイガットスン・ボーグラム1930年彫像ホール
エウセビオ・キノスザンヌ・シルバークリュス1965年柱の間
アーカンソー州ユライア・ミルトン・ローズ大理石フレデリック・ラックスタル1917年彫像ホール
ジェイムズ・ポール・クラークポンペオ・コッピーニ1921年上院廊下北玄関1階
カリフォルニア州トマス・スター・キング 青銅ハイグ・パティジアン1931年        除去
ロナルド・レーガンチャス・ファーガン2009年ロタンダ
フニペロ・セラエトール・カドリン1931年彫像ホール
コロラド州フロレンス・R・セービンジョイ・ブーバ1959年
ジャック・スワイガートジョージ・ランディーン と マーク・ランディーン1997年下院廊下1階
コネチカット州ロジャー・シャーマン大理石チョーンシー・アイブス1872年上院南北廊下1階
ジョナサン・トランブル下院廊下2階
デラウェア州ジョン・M・クレイトンブライアント・ベイカー1934年上院廊下2階
シーザー・ロドニー地下室
フロリダ州ジョン・ゴリーC・アドリアン・ピラーズ1914年彫像ホール
エドマンド・カービー・スミス青銅1922年柱の間
ジョージア州クロウフォード・W・ロング大理石J.マッシー・リンド1926年地下室
アレクサンダー・スティーヴンズガットスン・ボーグラム1927年彫像ホール
ハワイ州ダミアン神父青銅マリソル・エスコバー1969年下院廊下1階
カメハメハ1世トマス・R・グールド彫像ホール
アイダホ州ジョージ・レアード・シャウプ大理石フレデリック・E・トリーベル1910年
ウィリアム・エドガー・ボーラ青銅ブライアント・ベイカー1947年上院廊下2階
イリノイ州ジェイムズ・シールズレナード・W・フォーク1893年柱の間
フランシス・E・ウィラード大理石ヘレン・F・ミアーズ1905年彫像ホール
インディアナ州オリヴァー・P・モートンチャールズ・ニーハウス1900年上院廊下1階
ルー・ウォーレスアンドリュー・オコーナー1910年彫像ホール
アイオワ州ジェイムズ・ハーラン青銅ネリー・V・ウォーカー柱の間
サミュエル・ジョーダン・カークウッドビニー・リーム1913年彫像ホール
カンザス州ジョン・ジェイムズ・インガルズ大理石チャールズ・ニーハウス1905年


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