国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
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国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
2008年5月撮影

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の位置
施設情報
建物設計 丹下健三
延床面積 約3,000m2
開館2002年平成14年)8月1日
所在地〒730-0811
広島県広島市中区中島町1番6 日本
位置北緯34度23分36秒 東経132度27分13秒 / 北緯34.39333度 東経132.45349度 / 34.39333; 132.45349 (国立広島原爆死没者追悼平和祈念館)座標: 北緯34度23分36秒 東経132度27分13秒 / 北緯34.39333度 東経132.45349度 / 34.39333; 132.45349 (国立広島原爆死没者追悼平和祈念館)
外部リンク ⇒国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
プロジェクト:GLAM
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国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(こくりつひろしまげんばくしぼつしゃついとうへいわきねんかん)は、広島平和記念公園広島県広島市中区中島町1番6)にある、被爆者を追悼する国立の施設である。目次

1 概要

2 交通アクセス

3 脚注

4 関連項目

5 外部リンク

概要

2002年平成14年)8月1日に国立の施設としては初めて広島平和記念公園内に設置された。原爆死没者慰霊碑広島平和記念資料館レストハウスに隣接している。建物は、建築家丹下健三の設計。地下2階構造で、地下1階は情報展示コーナー及び体験記閲覧室が、地下2階には平和祈念・死没者追悼空間及び遺影コーナーが設けられている。入館者数は、2004年8月28日に50万人、2007年3月13日には100万人を突破した。

原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の第41条の規定に基づき設置され、1945年昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下により死亡した人々や、その後に亡くなった被爆者を追悼し、世界平和を願う目的で建てられた。2003年には、長崎市にも同様の施設(国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館)が建てられた。

具体的な活動は、被爆者の名前・遺影の募集を行っており、開館時には4804人の被爆者の遺影が登録。2004年8月に登録者が1万人を超えた。また、被爆体験記や追悼記の募集や在外被爆者の証言ビデオの作成なども行っており、2008年度までに205人分のビデオが、館内で公開されているほか、広島平和記念資料館を通じて貸し出したりしている。原爆死没者の遺影のほか、被爆者による体験記や証言映像、郷土や原爆、平和に関連する書籍を収蔵し、利用者に公開している。

2020年、被爆した16人のイエズス会外国人神父修道士の名前と遺影が登録された[1]
交通アクセス

広島平和記念公園#交通参照。
脚注^ “広島追悼祈念館に外国人被爆神父ら登録 イエズス会の16人、名前と遺影”. 中国新聞. 2020年2月25日閲覧。

関連項目

戦争祈念施設

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に関連するカテゴリがあります。


国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワークホームページ

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広島平和記念公園
主な碑

原爆ドーム

原爆供養塔

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韓国人原爆犠牲者慰霊碑

平和の鐘

原爆の子の像

平和の灯

原爆死没者慰霊碑

原爆犠牲ヒロシマの碑

主な施設

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広島国際会議場

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

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主な植物

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主なイベント

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人物

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長岡省吾

関連項目

広島市への原子爆弾投下

広島平和記念都市建設法


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