「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」はこの項目へ転送されています。その他の名称については「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
God Save the King
和訳例:国王陛下万歳
1745年10月15日の「The Gentleman's Magazine
以前まで、国歌・王室歌であった国・地域
イギリス領アメリカ
ガンビア
ガーナ
ハワイ王国
イギリス領香港
イギリス領インド帝国
アデン植民地
アンティグア・バーブーダ
アンギラ
バハマ
バルバドス
バストランド
バミューダ
イギリス領カメルーン
イギリス中央アフリカ保護領
イギリス領セイロン
イギリス領コロンビア植民地
イギリス領東アフリカ
イギリス領ギアナ
イギリス領ホンジュラス
イギリス領リーワード諸島
イギリス領ニューヘブリディーズ
イギリス領モーリシャス
イギリス領ナイジェリア
イギリス領ソロモン諸島
イギリス領ソマリランド
イギリス領ビルマ
ケープ植民地
イギリス領キプロス
イギリス領ドミニカ
イギリス領フォークランド諸島
フィジー植民地
ジブラルタル
グラナダ
ギルバートおよびエリス諸島
イオニア諸島合衆国
ジャマイカ植民地
ケニア植民地
ラブアン直轄植民地
ラゴス植民地
マラッカ直轄植民地
マルタ直轄植民地
ナタール植民地
ニューギニア準州
ニジェール海岸保護領
イギリス領北ボルネオ
クック諸島連邦
別名God Save the Queen
(女王陛下万歳〈君主が女性の時〉)
作詞ヘンリー・ケアリー(英語版)
作曲不明
採用時期1745年9月
試聴
国王陛下万歳
(アメリカ海軍軍楽隊による演奏) noicon
テンプレートを表示
『国王陛下万歳』(こくおうへいかばんざい)または『神よ国王を守り給え』(かみよこくおうをまもりたまえ、God Save the King)は、多くの英連邦王国(旧イギリス帝国構成国・地域の一部)およびイギリス王室属領で使用されている賛歌(アンセム)である。
イギリスの君主が女王の際は『女王陛下万歳』(じょおうへいかばんざい)または『神よ女王を守り給え』(かみよじょおうをまもりたまえ、God Save The Queen)となる。
君主が国王(King:男性)か女王(Queen:女性)かによって、歌詞中のKingとQueen、him/hisやherが切り替わるという、他の国歌と大きく異なる特徴を持つ。メロディーは君主の性別で変化しない。
国王ジョージ2世在位の1745年9月に制定されて以来、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)および同国海外領土の事実上の国歌である。イギリス国外においても、ニュージーランド(1977年 - )では2つの国歌のうちの1つであり、オーストラリア(1984年 - )およびカナダ[1](1980年 - )、ジャマイカ、ツバル、マン島[2]では王室歌(Royal Anthem)として、ジャージー[3]、ガーンジー[4]、マン島[5]においても、イギリス王室属領の立場では公式な国歌として歌われている。
1745年9月(ジョージ2世) - 1837年6月20日(ウィリアム4世)、1901年1月22日(エドワード7世) - 1952年2月6日(ジョージ6世)、2022年9月8日 - 現在(チャールズ3世) にかけて、男性君主版である『国王陛下万歳』が歌われている。
1837年6月20日 - 1901年1月22日(ヴィクトリア女王)、1952年2月6日 - 2022年9月8日(エリザベス2世)まで、女性君主版である『女王陛下万歳』が歌われた。
行事などで歌唱される場合、通常は第1節のみ、もしくは第1節と第3節が歌われる。 イギリスにおいて国歌として法律で制定されてはいないが、一般に国歌として広く認知されている。 なお、連合王国の構成国であるウェールズや北アイルランド、スコットランドでは独自の国歌を持ち、サッカーなどウェールズ、スコットランド[6]が個別に代表を出しているスポーツの試合では、『国王陛下万歳』ではなく、それぞれの国歌が演奏され歌われる(ただし、いずれも法律上の定めはなし)。 かつてイギリス連邦諸国(旧イギリス帝国)でも国歌として採用されていたが、現在は公募などによって別の歌を国歌として採用している。 ニュージーランドでは、今日でも『神よニュージーランドを守り給え』とともに国歌のひとつである。 カナダ、オーストラリア、バハマ、ジャマイカ、マン島では王室歌(Royal Anthem)として採用されている。 イギリス連邦非構成国ではあるが、リヒテンシュタインでは同じ旋律を流用して独自の歌詞を乗せて国歌としている。歴史上では過去に、かつてのスイス、ドイツ帝国(現:ドイツ連邦共和国)、ザクセン王国(現:ドイツ、ザクセン州)、ロシア帝国(現:ロシア連邦)、アメリカ合衆国も同様であった。 動詞が三人称・単数・現在形で活用して「saves」とならず原形の「save」なのは、「神に対する加護の要請」を示す仮定法現在、いわゆる祈願文であるためである[7]。 公式の場で斉唱する場合であっても、国王(女王)自身が歌唱することは一切ない[8]。 この節の出典は、Wikipedia:信頼できる情報源に合致していないおそれがあります。そのガイドラインに合致しているか確認し、必要であれば改善して下さい。(2022年9月) 少なくとも16世紀まで遡ることが出来るものの、あくまで君主を礼賛する歌であり国歌とは看做されていなかった[9]。 国王ジョージ2世在位下、1744年にイングランド上陸に失敗した小僭王チャールズ・エドワード・ステュアートは、1745年に側近のみを引き連れてスコットランドに上陸した。ハイランド地方の氏族は小僭王の下に結集し、政府軍をプレストンパンズ(Prestonpans 1745年9月28日、ドルリー・レーン王立劇場(Theatre Royal, Drury Lane
概要
歴史.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}