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出典検索?: "国民連合党" フィンランド
フィンランドの政党
国民連合党
Kansallinen Kokoomus
Samlingspartiet
党首ペッテリ・オルポ
創立1918年
本部所在地ヘルシンキ
党員・党友数41,000[1](2015年)
政治的思想自由保守主義
保守自由主義
親欧州主義
政治的立場中道右派
国際連携国際民主同盟
欧州連携欧州人民党
欧州議会会派欧州人民党グループ
公式カラー青色
国会48 / 200(2023年4月2日)
欧州議会3 / 13
自治体議会1,735 / 9,674
公式サイト
⇒www.kokoomus.fi
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国民連合党(こくみんれんごうとう、フィンランド語: Kansallinen Kokoomus、スウェーデン語: Samlingspartiet)[2][3][4]は、1918年に結成されたフィンランドの政党である。
社会民主党、中央党とともに、かつての3大政党の1つである。 北大西洋条約機構への加盟を強く打ち出している。 欧州人民党に加盟。 フィンランド南部の都市部の企業経営者などに強い支持基盤を有する。 学生や女性など幅広い国民から構成される下部組織があるのが特徴で、中にはトルコ系移民がリーダーを務めるグループもある[5]。 1990年代から2000年代にかけての議会選挙では、2割程度の得票率を獲得し、2007年の議会選挙においては200議席中50議席を得た。また、翌年の地方議会選挙では中央党の議席を上回るなど躍進した。 18.6%の得票率に留まり、選挙前より6議席を下回る40議席に後退し、野党となった。 50議席にまで回復。これにより51議席を獲得した中央党に次いで議会第2党に躍り出た。選挙後、中央党、緑の同盟、そして人民党から成る4党連立政権に参画した。 真のフィンランド人の躍進により、主要政党は軒並み議席が減少。国民連合党は44議席に減少したが、第1党だった中央党は35議席にまで減ったため、国民連合党が第1党となった[2]。 国民連合党は37議席に減少して第3党となり、中央党が49議席に伸ばし第1党となった。選挙後、中央党と真のフィンランド人から成る3党連立政権に参画した[3][4]。 48議席を獲得して第1党となり、連立交渉を主導する立場となった[6]。交渉の結果、真のフィンランド人、スウェーデン人民党、キリスト教民主党と連立を組み、国民連合党党首のペッテリ・オルポが首相に就任した[7]。 1946年から1956年にかけて在任した第7代のユホ・クスティ・パーシキヴィが党所属初の大統領であり、2012年にはサウリ・ニーニストが党所属者としては56年ぶりに大統領となった。
政策
組織
選挙
2003年議会選挙
2007年議会選挙
2011年議会選挙
2015年議会選挙
2023年議会選挙
歴代党首
Hugo Suolahti(1918?1920)
エーミル・ネストル・セタラ(E. N. Setala)(1920?1921)
アンッティ・トゥレンヘイモ
Hugo Suolahti(1925?1926)
Kyosti Haataja(1926?1932)
Paavo Virkkunen(1932?1934)
ユホ・クスティ・パーシキヴィ(Juho Kusti Paasikivi)(1934?1936)
Pekka Pennanen(1936?1943)
エドウィン・リンコミエス
K. F. Lehtonen(1945?1946)
Arvo Salminen(1946?1955)
Jussi Saukkonen(1955?1965)
Juha Rihtniemi(1965?1971)
ハッリ・ホルケリ(Harri Holkeri)(1971?1979)
Ilkka Suominen(1979?1991)
Pertti Salolainen(1991?1994)
サウリ・ニーニスト(Sauli Niinisto)(1994?2001)
ヴィレ・イタラ
ユルキ・カタイネン(Jyrki Katainen)(2004?2014)
アレクサンデル・ストゥブ(Alexander Stubb)(2014?2016)
ペッテリ・オルポ(Petteri Orpo)(2016?)
大統領
脚注^ Niemela, Mikko (2011年3月13日). ⇒“Perussuomlaisilla hurja tahti: "Jasenia tulee ovista ja ikkunoista"”. Kauppalehti