国民栄誉賞
[Wikipedia|▼Menu]
国枝慎吾の国民栄誉賞授賞式(2023年3月)

国民栄誉賞(こくみんえいよしょう)は、日本内閣総理大臣表彰のひとつ。賞は1977年昭和52年)8月に定められた国民栄誉賞表彰規程に基づいて授与され、当時の首相・福田赳夫により創設された。これまでに27人と1団体が受賞している[1]

内閣総理大臣や政権による表彰としては、本賞成立以前の1966年(昭和41年)に当時の総理大臣・佐藤栄作が創設した「内閣総理大臣顕彰」があったが対象が6種に限定されており、プロスポーツ選手への適用が困難だったため、内閣総理大臣・福田赳夫が通算本塁打の世界記録更新を控えたプロ野球選手・王貞治への表彰にと発案した[2]
概要王貞治の国民栄誉賞授賞式(1977年9月)

1977年昭和52年)、当時の内閣総理大臣・福田赳夫が、本塁打世界記録を達成したプロ野球選手王貞治を称えるために創設したのが始まりである[3]。背景には、先に設置されていた内閣総理大臣顕彰が「学術および文化の振興に貢献したもの」など6つの表彰対象を定めていた反面、プロ野球選手を顕彰した前例がなかったという事情があった[3][注釈 1]。また王は叙勲には若過ぎた[注釈 2]ということもあり、そのため、より柔軟な表彰規定を持つ顕彰として創設されたのが本賞である[3]

本賞は、1977年(昭和52年)8月30日に内閣総理大臣決定で制定された国民栄誉賞表彰規程に基づいており、その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」[4]と規定されている。表彰の対象は、「内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして表彰することを適当と認めるもの」[4]であり、かなり幅広い解釈が可能である。最初の授賞者である王が中華民国籍であったことからも明らかなように、日本国籍の所持は要件にない。また公開されている授与基準の他に、「これまで功績を積み重ねてきた上に、さらに歴史を塗り替える、突き抜けるような功績をあげた」という「暗黙の了解」を満たしていることも必要だという[3]

本賞の表彰の仕方を定めた国民栄誉賞表彰規程実施要領では表彰の候補者について、「民間有識者の意見を聞く」[4]と定めており、首相の要望だけでは決められない仕組みになっている。有識者は授賞対象者に合った分野から選ばれ、順番に意見が聴取されるという[3]。また、授賞に先立って本人(故人の場合には関係者)への打診が行われ、正式な検討手続きは受賞の意思が確認された後に開始される[3]

受賞者には「表彰状及び盾」の正賞のほか、「記念品又は金一封」が副賞として贈られる[4]。ただし、2021年時点で「金一封」で授与された者がいないため[5]、明確な金額は現在まで(贈られる側からは勿論のこと、贈る側の政府からも)公表されていない。ほぼ全ての報道関係者が「およそ100万円」と考察しているが、基準も目安も不明なため現状において推測に過ぎない。羽生結弦が副賞の「記念品又は金一封」のどちらも辞退した例はあるものの、すべて記念品の贈呈となっており、多くは銀製品や時計で、そのほか王には鷲の剥製[3]2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表には熊野筆の化粧筆7本[6]吉田沙保里には真珠のネックレス[7]振袖で表彰を受けた伊調馨には西陣織による金色の帯[8][9]が贈られている。

贈呈・表彰式は慣例で内閣総理大臣官邸で開催されるが、2013年平成25年)5月5日に実施された長嶋茂雄松井秀喜両名への贈呈は特例として東京ドームにおける読売ジャイアンツ(巨人)主催公式戦の中で松井の引退式を兼ねて実施された[注釈 3]
受賞者

これまでに26個人と1団体に対して授与されており、うち12名は没後の受賞であった[注釈 4]2011年平成23年)には初めて、団体としてのサッカー日本女子代表に授与され、その対象は選手とスタッフの35名となった。

国民栄誉賞受賞者一覧[1]受賞者氏名
(芸名等)画像受賞時年齢授賞式開催年月日
(授与内閣)職業受賞事由・特記事項記念品他の栄典
1オウ/王貞治37歳1977年9月5日
福田赳夫内閣)47プロ野球選手通算本塁打数世界新記録達成(756本)。鷲の剥製文化功労者
2こか/古賀正夫
古賀政男73歳*/没後受賞
(満73歳没)1978年8月4日
福田赳夫改造内閣)07作曲家独自の曲調「古賀メロディー」作曲による業績。懐中時計従四位
勲三等瑞宝章
紫綬褒章
銀杯一個(菊紋)
3はせかわ かすお/長谷川一夫76歳*/没後受賞
(満76歳没)1984年04月19日
第2次中曽根内閣)01俳優真摯な精進 卓越した演技と映画演劇界への貢献。次の植村と共に初の複数人同時受賞となった。銀製飾り額花挿し勲三等瑞宝章
紫綬褒章
銀杯一個(菊紋)
4うえむら/植村直己43歳*/没後受賞
(満43歳没)1984年04月19日
(第2次中曽根内閣)99冒険家世界五大陸最高峰登頂など。上の長谷川と共に初の複数人同時受賞となった。陶製
5やました/山下泰裕27歳1984年10月9日
(第2次中曽根内閣)48柔道選手柔道における真摯な精進。前人未踏の記録達成など。置き時計紫綬褒章
銀杯一組(菊紋)
6きぬかさ/衣笠祥雄40歳1987年6月22日
第3次中曽根内閣)47プロ野球選手連続試合出場世界新記録達成(2131試合)。銀製レリーフ
7みそら/加藤和枝
美空ひばり52歳*/没後受賞
(満52歳没)1989年7月6日
宇野内閣)05歌手真摯な精進、歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた。銀製花瓶紺綬褒章
8ちよのふし/秋元貢
千代の富士貢34歳1989年9月29日
第1次海部内閣)48大相撲力士通算勝ち星最高記録更新。相撲界への著しい貢献。青磁製壺従四位
旭日中綬章
9ふしやま/増永丈夫
藤山一郎81歳1992年5月28日
宮澤内閣)05歌手歌謡曲を通じて国民に希望と励ましを与えた功労。美しい日本語の普及に貢献。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:74 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef