スペインの政党
国民党
Partido Popular(PP)
党首アルベルト・ヌーニェス・フェイホー
創立1989年1月20日
前身政党国民同盟
本部所在地マドリード
青年部Nuevas Generaciones
国民党(こくみんとう、スペイン語: Partido Popular、略称:PP)は、スペインの政党。スペインにおいて、社会労働党と二大政党を形成する。日本の外務省は民衆党と呼称している[15]。 1976年にマヌエル・フラガ・イリバルネら7人のフランコ体制の政治家を中心に結成された国民同盟(Alianza Popular、AP)を前身とする。1975年にフランコが死去し、フアン・カルロス1世が即位してスペインに君主制が復活した。国王は前国民運動
歴史
フラガもスペインの改革を目指していたが、スアレスに改革の主導権を奪われ、国民同盟は保守層の支持を求めて極端に右傾化した。1977年6月15日に行われた第一回総選挙では、スアレスが率いる民主中道連合(Union de Centro Democratico、UCD)が第一党、社会労働党が第二党となり、国民同盟は惨敗した。1979年の総選挙でも同様であった。
しかし、1981年にスアレスが首相を辞任するとUCDは内部分裂を起こし、1982年の総選挙でフェリーペ・ゴンサーレス率いる、社会労働党政権が誕生した。この選挙で国民同盟はUCDに代わって保守票を集め、第二党に躍進した。
支持層を広げた国民同盟は中道右派に路線を変更し、1989年に「国民党」に改名して、フラガに代わってホセ・マリア・アスナールを党首に選んだ。1993年の総選挙で社会労働党に迫り、1996年の総選挙に勝利して、ゴンサーレス政権に代わってアスナール政権が誕生した。政権獲得後は高い経済成長率を達成し、2000年の総選挙でも再選された。
アスナール政権は、国内ではテロ活動を行うバスク祖国と自由(ETA)に対して強硬な態度を取り、2003年に始まったイラク戦争ではいち早くアメリカに同調して対イラク武力行使に賛成し、有志連合の一員としてイラクにスペイン軍を派遣するなど、親米姿勢を鮮明にした。
2004年3月14日の総選挙では政権続投が確実視されていたが、投票3日前にマドリード列車爆破テロ事件が発生した。イラク派兵に反対するイスラーム過激派による犯行であったにもかかわらず、ETAによる犯行だとの誤った発表をしたこと、またイラク派兵に反対する市民のデモをテロと関連づけて批判するなど有権者の不信を買い、即時のイラク撤兵を公約に掲げた社会労働党に政権を奪われた。
2008年10月22日、それまでナバーラ州内で協力関係にあったナバーラ住民連合(UPN)との関係が崩壊、2008年11月7日にナバーラ支部とも言うべきナバーラ国民党(Partido Popular de Navarra)が再結成された。
2011年総選挙では欧州危機を背景に過半数を制し、7年ぶりに政権奪回を果たした。汚職疑惑に抗議して国民党本部前で起こった市民デモ(2013年)
2013年1月、党首マリアーノ・ラホイ・ブレイを含む国民党幹部の汚職疑惑が報じられた。企業献金のうち、建設業界から不正な支払いがラホイなど国民党幹部に支払われていたというもので、ラホイには11年にわたって年間2万5200ユーロ(3万4200ドル)が支払われていたとされる。ラホイは不正を否定しているが、野党は政治家の信頼回復のために首相に辞任を要求している[16]。国民の間では抗議デモが起きている[17]。
2014年12月18日、マドリード市内の国民党本部ビルにガスボンベを積んだ車が突入したが、爆発には至らず死傷者は出なかった。犯人は事業に失敗した市民と報じられている[18]。
2015年12月10日の総選挙では、得票率28.7%で123議席を獲得し第一党を堅持したものの、結党以来最低の議席数にとどまった[19]。
2019年4月28日の総選挙では離党者が結成したVox躍進の割を食い、66議席と過去最低の議席数に落ち込んだ[20]。