国民体育大会
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陸上競技会(第67回大会、岐阜県)空手道競技会(第73回大会、福井県)

国民体育大会(こくみんたいいくたいかい、略称:国体(こくたい)、英称:National Sports Festival)は、日本で毎年開催されるスポーツの祭典である。実施競技によって1-2月の冬季大会と9 - 10月の本大会とがあり、各都道府県が持ち回る方式で開催されている。スポーツ庁は「広く国民の間にスポーツを普及し国民の体力向上を図るとともに,地方スポーツの振興と地方文化の発展に寄与することを目的」[1]としている。大会のあり方はスポーツ基本法で位置付けられており、日本スポーツ協会文部科学省・開催地都道府県の三者共催で行われる[2]

「国民体育大会」の名称は、2024年の佐賀県での大会から[注釈 1]「国民スポーツ大会」(略称「国スポ」(こくスポ))に改められることとなっている。

大会は正式種目の順位を得点に置き換えて都道府県対抗で争われ、冬季大会と本大会の通算で男女総合成績第1位の都道府県に天皇杯が、女子総合成績第1位の都道府県に皇后杯が授与される[3]
概説

1946年第1回大会近畿で開かれた。第3回福岡県大会から都道府県対抗方式が確立し、天皇杯と皇后杯が創設された。また、1988年の第43回京都府大会から本大会(夏季・秋季大会)の開催は二巡目に入り、全国を東・中・西地区に分けて順番に開催されている[4]水泳競技を中心とした夏季大会と陸上競技を中心とした秋季大会が存在したが、第61回2006年)から夏季と秋季の大会を一体化して3大会制に変更された[2]第63回大会2008年)以降は水泳などの一部競技が競技特性を考えた措置として「会期前競技」という形で先行開催され、実質的には再び4大会に戻されている。本大会(秋季大会)終了後には全国障害者スポーツ大会も行われる。

スケート・アイスホッケー競技会ではフィギュアスケートスピードスケートショートトラックスピードスケートアイスホッケーが開催される。

スキー競技会は大回転競技とジャンプ競技、ノルディック複合競技、クロスカントリー競技、モーグル競技が行われる。

本大会は競泳水球ボウリングサッカー陸上競技柔道剣道フェンシングレスリング山岳バレーボールバスケットボール軟式野球(成年のみ正式種目)、高校野球(硬式、軟式。何れも公開種目)、相撲等が開催される。以前夏季と秋季に分かれていた頃は競泳、水球、ボウリング、サッカーなどは夏季に開催された。

このほか、第43回1988年)からデモンストレーションスポーツが実施されている。体力づくりを目的に実施されるコミュニティースポーツを開催都道府県に在住・若しくは在勤・在学している人を対象に競技が行われる。

総合開会式・閉会式が行われる「主会場」については、日本体育協会が「3万人が収容できる施設」との施設基準を設けているほか、陸上競技会場については「日本陸上競技連盟公認第一種陸上競技場」であることが求められている。このため、国体に併せて「3万人収容可能な陸上競技場」の整備が求められることが多く、2015年に国体(紀の国わかやま国体)を開催した和歌山県では、全国障害者スポーツ大会と併せて県全体で641億円の経済波及効果と4,450人の雇用誘発効果をもたらしたとの調査結果[5]もある。また、滋賀県(2024年の第79回大会)のように主会場の誘致合戦が生じることもある[6]
大会シンボルマーク第23回大会の開会式の様子(福井市)。中央下に大会シンボルのロゴ。

第2回1947年)に制定した。マークは、30度右傾斜した赤色の松明を青色の円帯(幅はマーク全体の直径の1/10)で囲んだもの。
開会式

第2回(1947年)秋季大会から大会歌として作詞・佐伯孝夫、作曲・高田信一の『若い力』が開・閉会式で歌われ、併せてマスゲームが行われることもある。なお、開会式には天皇皇后が臨御・臨席する。秋季大会には炬火(きょか)リレーが行われ、開会式で炬火台に点火され総合閉会式で納火する。以前は冬季大会でも開会式が行われたが、国体改革により2010年から開始式に変更され、式典も簡素化される。

オリンピック聖火にあたる炬火が初めて点火されたのは第5回1950年)、炬火リレーは第12回1957年)から始められた。リレー自体は大会旗リレーとして第3回1948年)から前年国体開催地から大会旗をリレーする形で行われていて、第28回1973年)から炬火リレーと大会旗リレーが統合され開催地のみでのリレー形式となった。
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この節の加筆が望まれています。 (2024年2月)

前史

戦前、明治神宮競技大会1924年 - 1943年に行われた。冬季大会を除き、原則として明治神宮外苑(現在の東京都新宿区渋谷区に相当する箇所)を初めとする関東各地にて行われた。(詳述当該項参照)
創始

1945年12月26日岸記念体育館にて平沼亮三大日本体育協会理事)、末弘厳太郎(大日本水上競技連盟会長)、清瀬三郎、久富達夫、石田啓次郎ら戦前から競技団体の要職にあった人たちが会合し戦後のスポーツのあり方と競技団体の組織と事業について話し合うなかで全国体育大会の開催が提案された。

1946年、戦後の混乱期の中で国民に希望と勇気を与えるため[4]、平沼、清瀬らは春日弘(関西スポーツ連合会長)と懇談し理事会を結成。実施要綱が検討されGHQの全国的な承認、政府から40万円の補助金を得て第1回国民体育大会がスタートした。
名称の変更、「国民スポーツ大会」へ

2017年6月23日に日本体育協会は2018年4月1日付で「日本スポーツ協会」に名称を変更、国民体育大会についても、「国民スポーツ大会」への改称を提案することを可決した[7][8]。ただし、「国民体育大会」の呼称はスポーツ基本法第26条でも規定されているため、正式な改称には同法を改正する必要があり[7]、このため、2018年1月に召集された第196回国会にてスポーツ基本法改正案が審議され、同年6月13日に参議院本会議に於いて与党などの賛成多数で可決され成立した[9]。これを受けて日本スポーツ協会が同日、『第78回大会2023年)から「国民スポーツ大会」へと名称を変更する』ことを発表[9]、翌日に開かれた国体委員会で略称を「国スポ」に、英称を「JAPAN GAMES」に変更することを決めた[10]

後述の国体中止の影響により、2023年(第78回佐賀県大会)からとされていた名称の変更は、2024年同佐賀県大会から実施されることとなった。大会回数が変わらないのは、中止となった鹿児島大会が回数を付さない特別大会(2023年実施)となったためである。
感染症流行による中止

2020年に鹿児島県での実施が予定されていた第75回大会、2021年の三重県での第76回大会は、いずれも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行を受けて中止された[11]

なお、何らかの形で国体の開催が不可能となった場合の延期開催となる場合は、すでに5年後までは大会の開催地が内定、3年前に正式決定している(ただし、実際には開催予定年度の10年前ぐらいから事実上開催地が内定している[12])状態であるため、最短で当初開催予定年度から見て6年後以後に立候補することになるが、鹿児島国体は、本来2023年の国スポとして開催する予定だった佐賀県が特例として1年順延の2024年開催を受け入れ[13]、2023年に回数を付せずに「特別大会」として実施されることになり、第75回は欠番となった。2年連続での九州地方での国体・国スポの開催以後の大会は1年づつ順延して行われることになった。

しかし三重国体の扱いについては、2027年度以後の延期開催を申請せず、開催自体の返上に踏み切った[14]。秋季大会が中止されるのは国体史上、鹿児島国体が初めてで、三重国体で2年連続、かつ6年後以後の延期をも行わない完全欠番大会(幻の国体)となった。なお、三重県で改めて国スポの開催に立候補出来るのは、最短で2035年度に行われる第89回大会以降となる[15][注釈 2]
開催地
冬季大会詳細は「国民体育大会冬季大会」を参照冬季大会開催地の分布
      同一大会で氷雪両競技会とも開催するのが「総合開催」

開催地都道府県(以下、開催地という)において十分な施設や設備などの確保が困難な場合には開催地外の施設で競技を実施することができるが、冬季大会の開催は本大会の開催地外実施とは異なるもので、本大会の開催地が冬季大会を共催するわけではない[17][備考 1]

冬季競技の特性上、開催地となりうる都道府県は限られ[19]、第1回大会から2020年の第75回大会までに開催地となったのは19都道県である[20]。かつてはスケートアイスホッケー競技会(第35回大会まではスケート競技会)とスキー競技会とを別の都道府県で開催する「分離開催」が多かったが、開催地選定が難航しスケート・アイスホッケー競技会をさらに分離する「競技別開催」となった2005年以降、開催形態は多様化している[21][22]
本大会(夏季大会・秋季大会)

当初、夏季大会と秋季大会は恒久的に関西地区で開催される予定であったが第1回終了後、石川県第2回1947年)秋季大会の開催地として立候補した事が契機となり各県持ち回りとなった。(過去の)夏季・秋季大会は基本的に同一都道府県での開催。

また、開催地の決め方は全国を東、中、西の3地域に区分。さらに地域内を3ブロック(東地域:北海道・東北・関東、中地域:北信越・東海・近畿、西地域:中国・四国・九州)に分け、ブロックや地域で調整、5年先まで決める。共同開催としては現時点で最後の東四国国体(1993年)は、四国の4県がともに誘致を要望し、ブロック内での調整が難航。投票案まで出たが、過去に陸上競技の会場となった愛媛が外れ、高知も次に四国の番となる2002年にメイン開催地となる条件で降りたため、徳島・香川の2県開催に落ち着いた。

冬季2大会・(夏)・秋の全3(4)大会を全て同一都道府県で開催すると「完全国体」となる(特に北海道東北地方甲信越地方北陸地方といった寒冷地で秋季の大会が行われる時に冬季2大会も同時に開催するケースが多い)。


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