この項目では、ドイツ文学者について説明しています。警察官僚については「國松孝次」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学
国松 孝二(くにまつ こうじ、1906年11月3日 - 2006年5月8日)は、日本のドイツ文学者。旧制武蔵高等学校教員、九州帝国大学教授、東京大学教授、立教大学教授、専修大学教授を歴任。 千葉県船橋市生まれ。1930年東京帝国大学文学部独文科卒[1]。1931年旧制武蔵高等学校教員。1945年九州帝国大学教授。1950年東京大学教養学部教授、1956年同文学部教授、1967年定年退官、立教大学教授。1970年から専修大学教授、1977年、退職。 中世から近現代までのドイツ語ドイツ文学に精通し、ゲーテ、 シュトルム 、ハンス・カロッサ等の名作の名訳を残した[2]。編集長を務めた『独和大辞典』は詳細で分かりやすいと評され、特に「話法の不変化詞」「話法性をあらわす副詞」の記述は高く評価された[3]。同辞書はドイツ語学習者であれば、一度は手にしたことがあるとも言われる[4]。 2002年、東京大学教授柴田翔の働きかけによって、膨大な蔵書が一橋大学大学院言語社会研究科言語資料室に寄贈された[2][5]。文庫名は「国松文庫」[2]。 ロシア文学・比較文学者で桃山学院大学教授の国松夏紀は息子。
経歴
著書
『人間人生懐疑 わが箴言』(白水社) 1974年
『浮塵抄』(同学社) 1988年
翻訳
『ドストエフスキー研究』(チム・セガロフ、五味松樹
『乾草の月 ヘルマン・ヘッセ短篇小説』(ヘルマン・ヘッセ、白水社) 1938年のち角川文庫
『狂へる花 ウルズラー』(ゴトフリート・ケラー、岩波文庫) 1938年
『悪魔の霊薬』(E・T・A・ホフマン、冨山房、冨山房百科文庫) 1939年
『海の彼方より・聖ユルゲンにて』(テオドール・シュトルム、岩波文庫) 1940年
『北の海』(シュトルム、弘文堂書房) 1940年
『暗い春』(エーミール・シユトラウス、白水社) 1940年
『犠牲』(ビンディング、高橋健二共訳、河出書房) 1941年
『三つの死』(エーブナー=エッシェンバッハ、郁文堂) 1941年
『ドイツ民譚集 1』(グスタフ・シュワープ、岩波文庫) 1948年
『ヘルマンとドロテーア』(ゲーテ、養徳社) 1949年のち新潮文庫 1952年
『ドイツ文学史 第1』(ヴィルヘルム・シェーラー、富士田英三