国富論
[Wikipedia|▼Menu]

国富論
An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations
初版の標題紙
著者アダム・スミス
発行日1776年3月9日
発行元ウィリアム・ストラーン(英語版)、トマス・キャデル(英語版)
ジャンル経済学
イギリス
言語英語
前作法学講義

ウィキポータル 経済学

[ ウィキデータ項目を編集 ]

テンプレートを表示

『国富論』(こくふろん、: The Wealth of Nations)は、1776年に出版されたイギリスの経済学者アダム・スミスの著作である。日本では『諸国民の富』『富国論』といった題名でも刊行されてきた。

正式名は『諸国民の富の性質と原因に関する研究』(: An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)[1][2][3]

全5篇で構成されている本書は、近現代における経済学の出発点と位置づけられているだけでなく、社会思想史上の古典とも位置づけられている。「見えざる手」への言及とともに、あらゆる規制を排した自由放任主義を推進した文献と受け止められることもあるが、20世紀以降の研究ではそのような短絡的な見方は斥けられており、スミスのもう一つの著書『道徳感情論』も考慮に入れる形で、より広い視野から研究されている。
背景アダム・スミスの墓。「『道徳感情論』と『国富論』の著者」とある。

アダム・スミスは1751年からグラスゴー大学教授として、当初論理学、次いで道徳哲学を講じていた[4][5][6]。グラスゴー大学の講義中に、ピン製造を使った分業論をはじめ、『国富論』に含まれることになる理論のかなりの部分が見られる[4]

スミスが1759年に刊行した『道徳感情論』は大きな反響を呼んだ[7]。それがきっかけとなって、チャールズ・タウンゼンドの依頼に応じて大学教授を辞し、バクルー公大陸へのグランドツアーに、家庭教師として同行することになった[8]。この旅行の中では、親友デイヴィッド・ヒュームの仲介もあり、フランソワ・ケネージャック・チュルゴーヴォルテールらとも親交を持った[8]。この旅行でスミスは、『国富論』執筆のための刺激と、執筆に専念できるだけの十分な年金とを得た[9]。帰国後のスミスは、ベンジャミン・フランクリンとも出会う機会があり、アメリカ植民地に関するスミスの認識には、フランクリンからの影響が見られる[10]

スミスは『道徳感情論』の中で、さらに法と統治に関する一般理論の刊行を予告していたが[11]、その全体像が実現することはなかった。死を迎えた1790年の『道徳感情論』第6版では、1776年に刊行した『国富論』がその構想の一部であったことを、序論に付け加えた[12]
内容

『国富論』の「序論および本論の構想」においては、富を生活の必需品と便益品すべてと位置づけ、年々の労働によって生み出されるものとした。この定義は、貴金属などを富と見なした重商主義の定義などを批判あるいは否定したものとされる[13][14]

『国富論』は全5篇において理論、歴史、政策を包括的に扱っているとされ[15][16]、例えば第1、2篇が理論、第3篇が経済史、第4篇が経済思想史経済学史あるいは経済政策論、第5篇が財政学などと分類される[17][18][19]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:114 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef