国富町旗国富町章
国 日本
地方九州地方
都道府県宮崎県
郡東諸県郡
市町村コード45382-0
法人番号1000020453820
面積130.63km2
総人口17,664人 [編集]
(推計人口、2024年5月1日)
人口密度135人/km2
隣接自治体宮崎市、西都市、児湯郡西米良村、東諸県郡綾町
町の木カシ
町の花コスモス
国富町役場
町長[編集]中別府尚文
所在地〒880-1192
宮崎県国富町大字本庄4800番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度59分26秒 東経131度19分25秒 / 北緯31.99064度 東経131.3235度 / 31.99064; 131.3235座標: 北緯31度59分26秒 東経131度19分25秒 / 北緯31.99064度 東経131.3235度 / 31.99064; 131.3235
町役場位置
国富町役場
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国富町(くにとみちょう)は、宮崎県中部に位置する町である。町役場の位置する本庄地区は江戸時代は天領で、本庄川を利用した水運による物資の集散地としてにぎわった。現在は農業と先端産業の町である。
地理本庄川(綾南川)・綾北川合流点(森永)
宮崎県の中央部、宮崎市の北西隣に位置する内陸地域で、北西から南東にかけて細長く延びた形の町域となっており、南側が中心部にあたる。中心部から東端部にかけては宮崎平野の一角を占めており、特に台地部が多い。一方、北西部は九州山地の一角を占めており、北西端は掃部岳(かもんだけ、1223m)の山頂[1]にあたり、周辺には標高1000mを越すところがある。町域南部を九州一の清流である本庄川(大淀川支流)が東西に流れている。
年平均気温は18度、平均降水量は2,569mm、日照時間は2,110時間。
湖沼: 籾木池
隣接している自治体
宮崎市
西都市
東諸県郡:綾町
児湯郡:西米良村
地名
旧本庄町
嵐田
須志田
竹田
田尻
本庄
宮王丸
向高
森永
旧木脇村
岩知野
木脇
三名
塚原
旧八代村
伊左生
深年
八代北俣
八代南俣
歴史
古墳時代 - 本庄古墳群(本庄・須志田)に代表される古墳群が点在していた。
安土桃山時代 - 豊臣秀吉の九州征伐(1587年)では弟・秀長が本庄の義門寺に陣を置いたとされる。
江戸時代 - 国富町域は延岡藩飛地→天領(本庄地区)、高鍋藩飛地(木脇地区)、薩摩藩高岡外城(八代地区)に大別された[2]。本庄が天領化されたのは1646年以降、遅くとも1688年[3]のことである(須志田のみは山陰・坪谷村一揆後)。
天領本庄の代表的な商家は和泉屋(日高家)である。和泉屋が農閑期に漉かせた和紙は19世紀から20世紀前半にかけての主産業となった。
近現代
1889年5月1日 - 町村制施行により、現在の町域にあたる東諸県郡本庄村・八代村・木脇村が発足。旧来の村(本庄・深年・宮王丸など)は大字となる。