国家人民軍
Nationale Volksarmee
国家人民軍のエンブレム
周囲の文言は「労農政権の保衛のために」を意味する
国家人民軍旗
創設1956年3月1日
解散1990年10月2日
派生組織
国家人民軍航空軍
ドイツ民主共和国国境警備隊
本部 東ドイツ フランクフルト・アン・デア・オーデル県
国家人民軍(こっかじんみんぐん、ドイツ語:Nationale Volksarmee,ナツィォナーレ フォルクスアーメー)は、ワルシャワ条約機構軍の一翼を担っていたドイツ民主共和国の軍隊である。別称はドイツ国家人民軍。通称は東ドイツ軍、東独軍。略称はNVA(エヌ・ファオ・アー)。1956年3月1日にそれまで存在していた準軍事組織の兵営人民警察を改組する形で創設され、東西ドイツ合併後の1990年10月2日、ドイツ連邦軍に統合され解散した。 他の社会主義国の軍隊同様、国軍であると同時に支配政党であるドイツ社会主義統一党(SED)の強い指導下に置かれた党の軍隊でもある。東西冷戦の最前線であることからドイツ駐留ソ連軍の方が国家人民軍より規模が大きく、また運用においてもソ連軍の指揮下に置かれていた。 国家人民軍は公式には16世紀のドイツ農民戦争の農民達の軍隊の後継者であると称していた[1]が、後述するようにドイツ将校同盟などで「反ファシズム教育」を受けたとされるドイツ国防軍の将校たちが創設に関与し、入隊の際の忠誠宣誓では西ドイツの連邦軍では削除された上官への絶対服従義務が明記されているなど、第二次世界大戦以前のドイツ軍の伝統が継続されていた[2]。軍服のデザインやガチョウ足行進などにドイツ国防軍の影響が色濃く残っている点も、戦後それらをアメリカ式に改めたドイツ連邦軍(西ドイツ軍)とは大きく異なる点である。このため国家人民軍は「赤いプロイセン軍」と呼ばれていた[3]。ただし、ガチョウ足行進そのものはソビエト連邦軍でも行われていた。また国家人民軍の基本教練や軍装にはソ連軍の様式も取り入れられている。 1956年1月18日、人民議会では冷戦の激化を受けて「国家人民軍及び国防省の創設に関する法律」(Gesetz uber die Schaffung der Nationalen Volksarmee und des Ministeriums fur Nationale Verteidigung)が採択された。これに基づいて3月1日までに兵営人民警察は国家人民軍に改組され、同時に国防省
概要
1971年のSED第8回党大会会場での国家人民軍
プロイセン以来の伝統に従い、「ツバメの巣
沿革
1990年のドイツ再統一以降、各軍はドイツ連邦軍の各軍に統合される。旧地上軍の人員・機材は旧地上軍司令部に設置された第4軍団によって管理され、また旧人民海軍の人員・機材は旧人民海軍司令部に設置されたロストック海軍司令部によって管理された。しかし、統一直前に締結されていたドイツ最終規定条約で軍縮が確定していた為、統合の際に多くの将兵が職を失った。残留を許された一握りの下士官兵も、直後に結ばれたヨーロッパ通常戦力条約に基づく軍縮の中で段階的に解雇されていった。
さらに統一後のドイツ連邦共和国では国家人民軍への従軍を「外国軍への従軍」と見なし、軍人恩給の支給を認めなかった。元将校らが受け取った年金は大学生が受け取る奨学金の額にも満たなかったという。彼らは退役軍人を名乗る事も認められず、少額の年金のみを保証され、長らく苦しい生活を送った[5]。統一からおよそ15年後の2005年3月1日、ドイツ社会民主党や緑の党など左派諸党の提出した法改正によって国家人民軍への従軍を「連邦軍海外勤務」として扱うことが認められ、ようやく軍人恩給の支給が行われた。ただし、退役軍人を名乗ることはドイツキリスト教民主同盟や自由民主党など右派諸党の反対で認められなかった[6]。
組織国家人民軍の組織(1985年)
国家人民軍は以下の3つの軍種から構成されていた。
地上軍(Landstreitkrafte, 直訳すると「地上諸戦力」。)
人民海軍(Volksmarine,1956年から1960年まではSeestreitkrafte,(直訳で「海上諸戦力」))