外国地名および国名の漢字表記一覧(がいこくちめいおよびこくめいのかんじひょうきいちらん)では、世界の主要な地名(ただし、漢字文化圏の地名を除く)および国名の漢字表記について概説し、日本語の漢字を中心とする代表的な用例の一覧表を掲載する。一覧表の注意事項については、凡例を参照。 漢字表記の標準化について、別地域で異なる表記が用いられている場合の統一は困難であり、いずれかの表現を徐々に他へと伝播させるしか手段はない[1]。世界的には中国本土のメディアによる影響が増しているため、BBC中国などの華僑メディアにも本土の漢字表記が広まっている[1]。 漢字以外の文字を持たない中国では古来、外国の地名はすべて漢字で書き表されてきた[2]。たとえば「波斯」「天竺」のように、古くから中国に知られていた地名、およびインド、朝鮮、東南アジア諸国など[3]、主にアジアを中心とする外国の地名は歴史書などに記録が残る[4]。
概説『坤輿万国全図』の日本写本(狩野文庫蔵)
漢字文化圏内の様相
中国:漢名と漢訳の発祥
しかし、外来の地名の漢訳方法に関して、定められた基準のなかった時代にあっては、同一地名に対して複数の漢訳表記がなされる事例も多く、外国地名の漢字表記は多種多様なものが混在していた。そのような外来名の表記の不統一による混乱を解消するため、19世紀以来、西洋人宣教師と中国人自身の手により、努力が重ねられた[9]。その中で、外国地名についても、個別的な表記とならざるを得ない意訳を避け、表記の統一的な基準を定めることが可能な音訳を優先して使用するよう推奨されてきた[9]。たとえば、意訳地名の「新堡」(ニューカッスル)と「白山」(モンブラン)はそれぞれ、「紐?斯爾」や「蒙布朗」のような音訳地名に取って代わられた[10]。特に、1924年に刊行された『標準漢訳外国人名地名表』[注 1]は、現代中国語における外国地名の表記の標準化において重要な位置を占めている[10][12][13]。ただし、音訳優先とされながらも、「牛津」「地中海」「中東」のような、現在も安定して用いられている意訳地名も存在する[14]。
1950年代初頭、新華社通信訳名室(中国語版)は世界の人名・地名について翻訳を開始し、1960年代には当時の首相である周恩来によって新華社が翻訳担当となるように指示がなされた[15]。「中国語における外国固有名詞の表記」も参照 日本は遣隋使を送る以前より、中国・朝鮮を通して海外の知識を得ることが多く、漢籍に記載された漢名および漢訳の地名がそのまま日本語の中に取り入れられた[16]。日本人は万葉仮名を経て仮名文字を編み出したが、16世紀に南蛮人が渡来する頃まで、取り扱う外来の地名は漢語の地名が主であった[17]。 江戸初期に前述の『坤輿万国全図』などが日本にも伝わり[18]、新しい漢訳地名の影響を大きく受けた[19]。新井白石『采覧異言』(1713年)および『西洋紀聞』(1715年)も、同図を参考にして完成されたとされる[18]。中国語からの借用表記とは別に、長崎通詞などの蘭学者が直接西洋音に触れて漢字音訳した地名表記も生まれた[20]。また、日本語では外来の語彙の音訳用字としては仮名文字があるので、外国地名は必ずしも漢字のみで表記されてきたわけではない。たとえば、ドイツの国名の事例では、漢字表記の「度逸都蘭土」よりも仮名表記の「どいちらんと」の方が初出年代が早く、類似する仮名表記は1世紀以上使用された[21]。 田野村 (2020)は、日本語では仮名文字を使用すれば十分だったにもかかわらず、外国地名をわざわざ中国語風に漢字で音訳表記していた動機について、学術的な文章では専門用語は中国風に漢字(真名)で書きたいという心理を背景とする、日本人の衒学趣味によるものであろうと論評している[22]。孫 (1999)は、『和蘭風説書集成』に収録されている17世紀後期の風説書には「ヱゲレス國」「イスパニヤ」「イタリヤ國」「フランス人」などの表記が出現することから、西洋の国名のカタカナ表記は、その頃には既に(少なくとも幕府内では)ほぼ定着していたとする見解を述べている[23]。
日本:漢訳の受容と変容