国分寺町
町丁
薩摩国分寺跡(国指定史跡)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度50分1.7秒 東経130度18分15.1秒 / 北緯31.833806度 東経130.304194度 / 31.833806; 130.304194
国 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域川内地域
人口(2020年10月1日現在)
? 合計1,657人
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号895-0073
市外局番0996
ナンバープレート鹿児島
運輸局住所コード46514-0150[1]
国分寺町(こくぶんじちょう[2])は、鹿児島県薩摩川内市の町[3][4]。旧薩摩郡川内町国分寺町、川内市国分寺町。郵便番号は895-0073[5]。人口は1,657人、世帯数は690世帯(2020年10月1日現在)[6]。 薩摩川内市の西部に位置している。字域の北方には高城町、北方から東方にかけては中郷町、中郷、東方には原田町、西方には御陵下町、南方には大小路町にそれぞれ接している。 字域の南端を国道267号が東西に通っており、肥薩おれんじ鉄道線が北西に通っている。 西部には薩摩国分寺跡史跡公園がある。薩摩国府跡と薩摩国分寺跡が発掘されており、1.5ヘクタールが国の史跡となっている。中央台地に国府、国分、下台、後牟田の4集落が密集している。 「国分寺町」という町名は、薩摩国分寺の遺跡があることに由来している[7]。 2004年(平成16年)10月12日に川内市、東郷町、入来町、祁答院町、樋脇町、下甑村、上甑村、鹿島村、里村が新設合併し薩摩川内市が設置された[10]。この市町村合併に伴い設置された法定合併協議会において川内市の町・字については「現行通りとする。」と協定されたため、名称の変更は行われずに薩摩川内市の町となった[11]。 変更後変更年変更前
地理
字名の由来
歴史」(鹿児島県告示)により「同郡同町大字大小路ヲ廢止シ其ノ區域中(中略)字當田、中當田、前迫、下台、大都、國分、西原、追田、石走島、鴨ヶ迫、杉山、藝ノ尾、後牟田、字後田ノ内(番地一覧略)ノ區域ヲ国分寺町(コクブンジチヨウ)ト」することが鹿児島県知事によって許可され、薩摩郡川内町大字大小路のうち字當田、中當田、前迫、下台、大都、國分、西原、追田、石走島、鴨ヶ迫、杉山、藝ノ尾、後牟田の全域及び字後田ノ内の一部の区域を以て川内町の町「国分寺町」が設置された[3]。翌日の2月11日には薩摩郡川内町が単独で市制施行し川内市となった[8][9]。
字域の変遷
国分寺町(新設)1940年(昭和15年)大字大小路(一部)
文化財
国指定
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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