国会_(ポーランド)
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国民議会
Zgromadzenie Narodowe

種類
種類両院制
議院元老院(上院)
代議院(下院)
歴史
設立1989年7月12日 (1989-07-12)
役職
上院議長ボグダン・ボルセヴィチ(英語版)(法と正義)、
2015年11月12日より現職
下院議長マレク・クフチンスキ(英語版)(法と正義)、
2015年11月12日より現職
構成
定数560
100(上院)
460(下院)

上院院内勢力リスト

与党 (63)[1]  法と正義 (63)

野党 (37)[1]  市民プラットフォーム (33)  無所属 (4)


任期4年(解散あり)
選挙
上院選挙制度非拘束名簿式比例代表制
下院選挙制度小選挙区制
前回上院選挙2015年
前回下院選挙2015年
議事堂
ポーランドワルシャワ
憲法
ポーランド共和国憲法

国民議会(こくみんぎかい、ポーランド語: Zgromadzenie Narodowe)は、ポーランド立法府である。
目次

1 概要

1.1 上院

1.2 下院


2 沿革

2.1 中世から第二次世界大戦直前

2.2 第二次世界大戦期から人民共和国時代

2.3 民主化の始まりから第三共和国時代


3 脚注

4 参考文献

概要

立法権を行使しポーランド国民の政治的意志を代表する議会である。上院下院から構成されている。議員の任期は両院とも4年であるが、議会が解散されたときは任期が短縮される。

議会は原則として通年開会している。上下両院で意見が異なった場合下院の見解が優越するほか、内閣(閣僚会議)の承認権や中央銀行総裁の憲法法廷判事の任命権を有するなど、上院と比べて強い権限を有している。
上院

議員定数:100議席

選挙制度:
小選挙区制(2011年7月にこれまでの中選挙区から制度変更)
詳細は「ポーランド共和国上院」を参照
下院

議員定数:460議席

選挙制度:
非拘束名簿式比例代表制
詳細は「ポーランド共和国下院」を参照
沿革

「沿革」ではポーランド共和国以前の議会制度も含めて解説することとする。
中世から第二次世界大戦直前詳細は「ポーランド・リトアニア共和国」、「黄金の自由」、および「セイム (ポーランド・リトアニア共和国)」を参照

ポーランドにおける議会制度の始まりは、1493年に当時の国王ヤン・オルブラヒトが全国議会(セイム)を招集したのが始まりである。この全国議会は国王、元老院(上院)、小議会(下院)の3者で構成され、貴族(シュラフタ)を代表する身分制議会であった。1505年に布告されたニヒル・ノビ法によって国王が新たな法律を布告するには上下両院の同意を要することが定められ、セイムの権限がより強化された。当時の下院は212名、上院は87名の代議員で構成されており、ポーランド・リトアニア共和国成立後の1573年以降、セイムは2年ごとに6週間の会期で開会されるほか、緊急時には2週間の会期で臨時議会も招集された。また議会の権限は立法や政府監察、司法など幅広く、決定は代議員の全会一致によってなされた。

1791年に採択されたいわゆる「5月3日憲法」では、セイムを全国民の意思を表す主権機関として位置づけると共に、下院には地方貴族代表だけでなく都市代表も加えられ、代議員の任期制も導入された。また議決に際してはこれまで採られていた全会一致制を廃止して、単純多数決によるものとした。この5月3日憲法は、アメリカ合衆国に次いで世界で2番目に古いもので、欧州では最古の憲法であったが、2年後の第三次ポーランド分割で国家としてのポーランドが消滅したため、日の目を見ることはなかった。詳細は「ポーランド第二共和国」を参照

第一次世界大戦の結果、1918年にポーランドは独立を回復することができた。そして3年後の1921年3月17日に、フランス憲法(1875年憲法)を範とした憲法(1921年憲法)が制定された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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