国中地方
くになかちほう
甲府盆地の桃の花と南アルプス
国 日本
地方中部地方(甲信越地方)
都道府県山梨県
自治体記事参照
行政区峡中、峡北、峡西、峡東、峡南
面積3,156.37km²
総人口624,131人(推計人口
国中地方(くになかちほう)は、山梨県の中・西部に当たり、北に八ヶ岳、西に赤石山脈などに囲まれた内陸の地域である。山梨県は、主に笹子峠を境に東西に区切られており、同峠より西側が「国中地方」、東側が「郡内地方」と二地域に区分されている。 国中地方の地域区分は峡中・峡北・峡西・峡東・峡南があり、広義のとしてはこの5つの地域をあわせて国中地方と呼ばれている。一方で富士川河谷にあたる峡南地域は甲府盆地と比べて文化などの面で若干の違いが見られるため、「河内(かわうち)」と呼んで区別することがある。この場合、県内は国中・河内・郡内の3地方に分けられ、狭義の国中地方は富士川河谷地域を除いた山梨県中西部となる。 平成の大合併後に地域振興局が再編され、峡中・峡西地域を管轄する「峡中地域振興局」と峡北地域を管轄する「峡北地域振興局」が統合され「中北地域県民センター」となった。このため峡中・峡西・峡北の地域は新たに「中北地域(ちゅうほくちいき)」と呼ばれ、峡東地域・峡南地域とあわせて天気予報などでも使われ始めている。 山梨県の西側に位置し、県庁所在地である県内最大の都市の甲府市を含む。 国中地方東部では果樹園などが数多く存在し、第一次産業が盛んである。 国中地方南部では林業(第一次産業)や、はんこの製造(第二次産業)などが盛んである。 国中地方中部では加工業や製造業、ICT産業などの第三次産業が盛んである。 国中地方が位置する山梨県は距離的な関係から、中部地方に分類されながらも中京圏の愛知県よりも首都圏の東京都との結びつきのほうが強い。
概要
位置
産業
地理的関係
地形
盆地:甲府盆地
高原:清里高原、乙女高原
山岳:金峰山、愛宕山、八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、茅ヶ岳、甘利山、北岳、間ノ岳、仙丈ケ岳、観音岳薬師岳、アサヨ峰、小太郎山、千頭星山
河川:富士川(釜無川)、荒川、黒沢川
湖沼:臼井沼(現存しない)
温泉:信玄の湯 湯村温泉、積翠寺温泉、増富温泉、芦安温泉、金山沢温泉、やまなみの湯、石和温泉、下部温泉、西山温泉、奈良田温泉
ダム:荒川ダム、大門ダム、上来沢ダム、小樺ダム、広瀬ダム、琴川ダム、上日川ダム、雨畑ダム、西山ダム
自然公園:四尾連湖県立自然公園、南アルプス巨摩県立自然公園
自治体
市:甲府市、山梨市、笛吹市、甲州市、甲斐市、韮崎市、北杜市、南アルプス市、中央市
町:中巨摩郡昭和町、西八代郡市川三郷町、南巨摩郡南部町、南巨摩郡身延町、南巨摩郡早川町、南巨摩郡富士川町
村:平成の大合併後、域内に村は存在しない。
歴史
先史
約3万年前 - この頃から人々が生活していたことが判明している[1]。
古代
4世紀後半 - この頃、東日本最大級の前方後円墳の銚子塚古墳(国指定史跡)が造られた[2]。
8世紀頃 - 甲斐国設置。東海道に属す。国の中心は現在の笛吹市周辺に置かれたと考えられる[1]。
中世
1131年頃 - 甲斐国に源義清、清光の親子が入り、甲斐源氏を興したと考えられる[1]。
鎌倉時代 - 鎌倉幕府によって甲斐源氏の武田氏が甲斐国守護に任じられた。
1281年 - 身延山に久遠寺(日蓮宗総本山)が創建される。
室町時代 - 甲府周辺に魚座がひらかれる。
戦国時代