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やノートページでの議論にご協力ください。図書館(としょかん)またはライブラリ(英: library、独: Bibliothek、仏: bibliotheque)とは、図書、雑誌、視聴覚資料、点字資料、録音資料等のメディアや情報資料を収集、保管し、利用者への提供等を行う施設もしくは機関である。
基礎的な蓄積型文化施設の一種であり、博物館が実物資料を中心に扱い、公文書館が非定型的文書資料を中心に扱うのに対して、図書館は 出版物を中心に比較的定型性の高い資料を蓄積するものである。
「図書館」は、明治中期に英語のlibraryから訳された訳語(和製漢語)である。「図書館」は、地図(図版)の「図」、書籍の「書」を取って、図書とし、図書を保存する建物という意味であった。
図書館の歴史「公共図書館#歴史」および「図書館の歴史(英語版)」も参照
古代アレクサンドリア図書館盗難防止に、鎖で読書台につながれている鎖付図書。手書きの写本は非常に貴重なものである(イタリア、チェゼーナ図書館)。
世界史上早期の図書館として有名なものに、紀元前7世紀のアッシリア王アッシュールバニパルの宮廷図書館(アッシュールバニパルの図書館)がある。アッシリア滅亡時に地下に埋もれたまま保存されたこの図書館の粘土板文書群の出土によって、古代メソポタミアの文献史学的研究が大きく前進した。
ヘレニズム時代の図書館としては、紀元前3世紀のアレクサンドリア図書館が著名である。この図書館は、付近を訪れる旅人が本を持っていると、それを没収して写本を作成するというほどの徹底した資料収集方針を持っていた。さらに薬草園が併設されており、今日の植物園のような遺伝資源の収集も行われていた。つまり、今でいう図書館、公文書館、博物館に相当する機能をあわせ持っており、古典古代における最高の学術の殿堂となっていた。 イスラム世界では、830年にアッバース朝の第7代カリフ・マームーンが、バグダードに 知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)を設立した。知恵の館では、写本とともにペルシャ語やギリシャ語の文献の翻訳も行われた[1]。イベリア半島でアンダルスのウマイヤ朝が成立すると、コルドバには7つの図書館が建設され、カリフの図書館だけで40万巻の蔵書があった[2]。 中世ヨーロッパでは、修道院に図書館・図書室が併設されていることが多かったが、この頃の主要な紙である羊皮紙はとても高価であり、更に、識字率も低かったため、写本1冊で家が買えるほど貴重なものであった。そのため、本は鎖で本棚につながれていた。 歴史的には、学術研究用に資料を集めた場として、学者や貴族以外の者は利用できなかったり、利用が有料であったりした時代が長い。15世紀のグーテンベルクによる活版印刷の発明で、本が大量生産できるようになって初めて「誰でも無料で」の原則が広まり、民衆の間に会員制の組合図書館、都市図書館が開設された。図書館は活版印刷による複製物を体系的に収集保存提供することで、知識共有のための社会的装置となった[3]。近代的な組織は知識水準を保持するために図書館を持った[3]。しかし、中国などの漢字を使う地域では漢字一つ一つの金属活字(活版印刷で使う判子のようなもの)が必要だったため、活版印刷はあまり広がらず、謄写版(ガリ版)印刷が主流として残り続けた。 フランスでは、1367年にシャルル5世によって王室文庫が創立され、 フランス国立図書館となった。イタリアでは、1452年にマラテスティアーナ図書館が創立された。イギリスでは、1598年にボドリアン図書館が開館した。 20世紀になると、図書館は、学校、企業、医療施設などによって構成員の情報や知識の共有手段として位置付けられるようになった[3]。 中国においては、それぞれの王朝は蔵書楼(書庫)を持っていた。寺院には仏典を保管する施設として蔵経閣 東南アジアにおいては、仏典を保管する施設としてミャンマーではピタカタイク
古代三大図書館
アレクサンドリア図書館(図書館への放火によりすべての蔵書が失われてしまう)
ペルガモン図書館(英語版) - トルコのミュシア地方
ケルスス図書館(英語版) - トルコのエフェソス遺跡
中世・近世
20世紀
アジア
日本国立国会図書館
日本の図書館の歴史は、文庫、書庫、書府、経蔵や書籍館(しょじゃくかん)に遡る。近代以前の日本における図書館(的な施設)としては図書寮や芸亭、金沢文庫、足利学校などが有名である。青柳文庫は仙台藩藩校・養賢堂から分離独立した仙台医学館構内に1831年(天保2年)に設置され、身分に関係なく閲覧・貸出がなされた。青柳文庫が日本初の公共図書館とすることには異論もある[6]。
近代的な欧米の図書館制度を日本に最初に紹介したのは福沢諭吉である[7]。幕末に渡欧した福沢は、著書『西洋事情』の中で大英博物館図書室をはじめ、諸外国の納本制度を報告。『西洋事情』を参考にした市川清流は、1872年(明治5年)5月に明治政府に幕府の遣欧使節団の経験を活かした「書籍院建設ノ儀」という建白書により[8]、初の国による近代的図書館「書籍館」(のちの「浅草文庫」、「東京書籍館」)が文部省によって設けられ、一時内務省に移管された。また京都では、日本国初の公共図書館「京都集書院」が設けられた。
その後、1895年(明治28年)に日清戦争に勝利すると、国立図書館を求める声が高まり、政府は1897年(明治30年)4月22日に「帝国図書館官制」を公布して「帝国図書館」が誕生した。またこのとき初めて「司書」が規定された。その後、帝国図書館が1906年(明治39年)に新築されると、閲覧者数は一日平均数百人を超えるようになった。1899年(明治32年)公布の図書館令において図書館という語が用いられたことで、知識階層以外の一般国民にも図書館の存在が定着した[9]。
地域活性化(町おこし)、平成16年10月1日には経営不振の公立図書館を再建するために日本で初めてのPFIによる民間企業の委託によるPFI図書館(桑名市図書館等複合公共施設)が運営開始された[10]。 図書館の機能は大きく分けて6つある。 図書館がサービス対象者の情報ニーズに合わせて提供するサービス全体を「図書館サービス(英:Library Services)」という[13]。かつては、図書館奉仕、図書館活動と称された[14]。(なお図書館関係法規などでは現在でも図書館奉仕を用いている[14])図書館サービスは、図書館及び利用者の種類、サービスを提供する施設の目的によって異なる[13]。 1949年に制定された「ユネスコ公共図書館宣言
図書館の機能
(1)図書館資料の収集
図書、新聞、雑誌をはじめとして、CDなどのマルチメディアの収集を行う。各図書館における収集方針と基準に沿って資料の選択と収集が行われる[11]。収集方法には、具体的には、購入、寄贈、交換、寄託などがあるが、一般的には購入によるものが中心である[12]。また、利用されなくなった資料のうち、保存するだけの資料価値が乏しいと判断されたものは定期的に廃棄(除籍という)して、資料の整理を行う。
(2)図書館資料の整理
収集した資料を利用者が迅速に利用できるように整えること。収集された資料は各館が定めた分類法(日本の公立図書館などでは、「日本十進分類法」に沿ったものが多い)により分類番号をつけて利用されやすいように整理する。また目録規則(日本では「日本目録規則」が用いられることが多い)に従って各資料の目録が作成されており、これを検索することによって資料の情報を得る。
(3)図書館資料の保存
各種資料はその材質に応じて適切に保存する必要がある。また、図書の劣化に対応して、補修を行ったり、貴重な資料に関しては(たとえば、電子的な)複製の作成も行う。さらに増大する新規資料を保存していく場所の確保も重要である。その一つの方策として前述の除籍がある。
(4)図書館資料の提供
図書館の最大の業務は資料・情報提供である。
(5)集会活動、行事の実施
図書館利用の広報活動のことである。
(6)資料及び図書館利用に関する指導
図書館の利用のガイダンスを行うことである。
図書館サービス
日本においては、1948年2月に制定された国立国会図書館法で「図書館奉仕」という語が初めて登場した[18]。第二次世界大戦前の日本の図書館では、図書館が利用者にサービスする機関であるという意識は薄かった[18]。戦後の諸改革の過程でユネスコ公共図書館宣言をはじめとする海外のサービス理念が伝えられた[18]。
図書館サービスには、代表的なものには次のものがある。
貸出 lending service
複写 copy service
リクエスト・予約 request service
参考業務(レファレンスサービス) reference service