図師町
町丁
町田市立室内プール
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}図師町図師町の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度34分51.73秒 東経139度25分6.17秒 / 北緯35.5810361度 東経139.4183806度 / 35.5810361; 139.4183806
国 日本
都道府県 東京都
市町村 町田市
地域忠生地域
面積[1]
? 合計2.842 km2
人口(2018年(平成30年)1月1日現在)[2]
? 合計8,417人
? 密度3,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号194-0203[3]
市外局番042 (相模原MA)[4]
ナンバープレート多摩
図師町(ずしまち)は、東京都町田市にある町名。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は194-0203[3]。 町田市の北部に位置する。 東は野津田町、南は山崎町と忠生、西と北西は下小山田町、北は小野路町と接している。特に小野路町に跨る北部の丘陵地帯は「図師小野路歴史環境保全地域」に指定されており、全体として典型的なかつての多摩丘陵の景観を示している[5]。 住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、図師町字八号1629番31の地点で10万1000円/m2となっている。[6] 武蔵国多摩郡小山田庄小山田郷の後、多摩郡柚木領に属した。 承久年間(1219?1221)、時の領主の小山田二朗重義が半沢山にある「白山社」を修理しようとして、別当の大蔵院長栄に社にある地形を尋ねたところ、長栄は図を画き、重義がそれを誉め長栄を図師法印半沢坊と称し、領地の一部を社領として寄贈し「図師領」と称したと伝わる[7]。
地理
河川鶴見川(宮川橋)
鶴見川 - 北西から南東に流れる。
結道川 - 北から南に流れ、並木橋付近で鶴見川と合流する。
地価
歴史
地名の由来
沿革
1590年(天正18年) - 徳川家康の領地になる。
1651年(慶安4年) - 今井八郎左門が代官になる。
1666年(寛文6年) - 坪井治右衛門が代官になる。
1693年(元禄6年) - 図師の北部の一部が江戸の湯島の霊雲寺の領地になる。
1697年(元禄10年) - 図師の北部の残りが旗本の平岡仁右衛門の知行地になる。
1698年(元禄11年) - 図師の南部が旗本の田中一郎右衛門の知行地になる。
1856年(安政3年) - 図師ヶ原が開拓され、幕府の直轄地になり、江川太郎左衛門が代官になる。
1866年(慶応4年、明治元年) - 武蔵知県事と韮山県の管轄になり、その後神奈川県に移管される。
1871年(明治4年) - 区制により第三〇区となる。
1873年(明治6年) - 区番組制により第八区五番組となる。
1874年(明治7年) - 大区小区制により第八大区四小区となる。
1884年(明治17年) - 連合戸長役場制により木曽村戸長役場の管轄となる。
1889年(明治22年) - 図師村、上小山田村、下小山田村、山崎村、木曽村、根岸村が合併し、南多摩郡忠生村大字上図師となる。
1893年(明治26年) - 南多摩郡、西多摩郡、北多摩郡が神奈川県から東京府に移管され、東京府南多摩郡忠生村大字図師となる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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