四条畷駅
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四条畷駅
駅舎(2021年3月)
しじょうなわて
Shij?nawate

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所在地大阪府大東市学園町1-50[1].mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度43分49.57秒 東経135度38分21.64秒 / 北緯34.7304361度 東経135.6393444度 / 34.7304361; 135.6393444座標: 北緯34度43分49.57秒 東経135度38分21.64秒 / 北緯34.7304361度 東経135.6393444度 / 34.7304361; 135.6393444
駅番号JR-H34
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 片町線(学研都市線)
キロ程32.0 km(木津起点)
電報略号シワ
駅構造地上駅橋上駅
ホーム2面4線
乗車人員
-統計年度-16,178人/日(降車客含まず)
-2022年-
開業年月日1895年明治28年)8月22日[2]
備考直営駅管理駅
みどりの券売機プラス設置駅
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四条畷駅(しじょうなわてえき)は、大阪府大東市学園町にある[1]西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)のである。駅番号はJR-H34。
概要

片町線の全列車が停車する主要駅の一つである。

当駅は市名の「四條畷」の「條」を略字常用漢字)表記した「四条畷」という駅名を有し、JTB時刻表の巻頭路線図でも四條畷市の代表駅として記載されているが、四條畷市域からわずかに南に外れた大東市域に所在している。このことから、両市内からの利用がみられる。

1895年の開業時は四條畷という自治体はまだ存在せず、四條畷といえば四條畷古戦場に基づく広域地名であり、現在の大東市側が四条村、四條畷市側が甲可村だった。なお、甲可村は1932年に改称して、四條畷村になる。

駅名は元は市名の表記と同様に「四條畷」であった(地名表記については「四條畷」と「四条畷」も参照)が、のちに現在の常用漢字に当たる当用漢字を用いた「四条畷」に改められた。四條畷市が「四條畷」への駅名表記変更を2004年より要望しているが、駅名の改名には数億円の費用が必要となり、JR西日本では自治体の要望による駅名の改名は原則的に自治体側に費用負担を求めているため、四條畷市側の財政上の理由から改名は実現していない[3]
歴史

浪速鉄道の終点として開業し、関西鉄道が買収した。城河鉄道の免許線を建設し、両者合わせて名古屋 - 大阪間の本線として機能させるものであったが、大阪鉄道の買収により本線が湊町駅(現在のJR難波駅)起点になったため、当駅は支線の途中駅になった。1907年の国有化後に線路名称設定で片町線となり、大阪側が1932年に電化された際には電車終点駅となった。それ以来同線の運行上の拠点となっている。長尾駅まで電化区間が延長された後も半数近くの列車は片町駅 - 当駅間の区間運転で残り、電車での運転系統は大半が片町駅発着であった。その後、片町駅の留置線の敷設に伴って京橋駅発着の運転系統が設定され、朝晩に京橋駅 - 当駅間の列車が設定されている。
年表

1895年明治28年)8月22日:浪速鉄道片町駅 - 当駅間開業に伴い、同線の終着駅として設置[2]

1897年(明治30年)2月9日:関西鉄道に譲渡。

1898年(明治31年)4月12日:関西鉄道が長尾駅まで延伸し、途中駅化。

1907年(明治40年)10月1日鉄道国有法により、官営鉄道の駅になる[2]

1909年(明治42年)10月12日線路名称制定により、桜ノ宮線の所属となる。

1913年大正2年)11月15日:線路名称改定。桜ノ宮線が片町線に編入され、当駅もその所属となる。

1932年昭和7年)12月1日:片町駅 - 当駅間の電化に伴い、電化と非電化の境界駅となる。

1950年(昭和25年)12月25日:当駅 - 長尾駅間が電化され、電化と非電化の境界駅が長尾駅に移行。

1973年(昭和48年)7月1日:貨物の取り扱いを廃止[2]

1978年(昭和53年)4月10日:駅舎・構内の改築工事が完成(ホームを2面3線から4線に拡張し、駅舎を橋上化)[4]

1979年(昭和54年)10月1日:当駅を含む長尾駅 - 片町駅間の各駅に、関西の国鉄線では初の自動改札機を設置(JR東西線開業で交換)。

1986年(昭和61年)11月1日荷物扱い廃止[2]

1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる[2]

1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により、「学研都市線」の愛称を使用開始。

1997年平成9年)3月8日Jスルーを導入[5]

2003年(平成15年)11月1日ICカードICOCA」の利用が可能となる[6]

2011年(平成23年)3月8日JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム導入。接近メロディ導入。

2012年(平成24年)10月29日:自動改札機をJR西日本テクシア製、AG50型に交換。

2018年(平成30年)3月17日駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

2024年令和6年)

5月31日みどりの窓口の営業を終了[7]

6月1日みどりの券売機プラスを導入[7]


駅構造

待避設備を備えた島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。改札口は1ヶ所のみ。

駅長が配置された直営駅であり、管理駅として西木津駅 - 鴻池新田駅間の各駅を管轄している。おおさか東線放出駅 - 久宝寺駅間の部分開業までは徳庵駅や放出駅も管轄していた。2006年3月にエスカレーターエレベーターが稼動を開始。エレベーターは改札外にも設置されている。

1・2番のりば(京橋方面行き)の最下層に1895年の浪速鉄道四條畷駅開業当時のレンガ造りホームが現在も残っており、反対側ホームから見ることができる。


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