四条河原町阪急
2010年8月撮影
店舗概要
所在地〒600-8510
京都府京都市下京区四条通河原町東入真町68番地
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度0分12.5秒 東経135度46分11.2秒 / 北緯35.003472度 東経135.769778度 / 35.003472; 135.769778 (四条河原町阪急)座標: 北緯35度0分12.5秒 東経135度46分11.2秒 / 北緯35.003472度 東経135.769778度 / 35.003472; 135.769778 (四条河原町阪急)
開業日1976年(昭和51年)10月15日[1]
閉業日2010年(平成22年)8月22日[3]
正式名称阪急百貨店阪急四条河原町阪急
施設所有者住友不動産[2]
施設管理者阪急阪神百貨店
延床面積12,625 m²[4]
商業施設面積約8,909 m2[5]
営業時間11:00-20:00(月曜 - 水曜)
11:00-21:00(木曜 - 日曜・祝日)
後身京都マルイ→京都河原町ガーデン
最寄駅阪急京都本線河原町駅
外部リンク四条河原町阪急 - ウェイバックマシン(2010年8月21日アーカイブ分)
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開業当時の当店と京都市電世界地図四条河原町阪急閉店カウントダウン(2010年8月10日撮影)
四条河原町阪急(しじょうかわらまちはんきゅう)は、かつて京都府京都市下京区にあった阪急阪神百貨店運営の百貨店である。1976年(昭和51年)10月15日に開店し[1]、2010年(平成22年)8月22日に閉店した[3]。
阪急京都本線河原町駅に直結するターミナル百貨店で[6]、駅に直結した京都市最大の繁華街・四条河原町[7]の交差点角の好立地のため、待ち合わせ場所としても親しまれていた[8]。 京都住友ビルディング(住友不動産京都ビル)の地階 - 6階に入居していた。7・8階には百貨店と同じエイチ・ツー・オー リテイリング傘下の阪急商業開発がレストラン街「モザイクダイニング四条河原町」を展開しており、百貨店が撤退し京都マルイが入居した後も住友不動産が運営する「FOOD HALL」がオープンするまで営業されていた。 京都は大丸、島屋、藤井大丸といった伝統的な呉服系百貨店がひしめく中、初の電鉄系百貨店だった。開業したその年には阪急ブレーブスの応援セールで店内が混雑するなど、ユニークな手法に一目置かれた。当店開業の翌年には、京都駅前にあった百貨店・丸物(近畿日本鉄道・近鉄百貨店子会社)の本店も京都近鉄百貨店に店名を変更し、大阪近鉄バファローズ応援セールを実施したことで注目されるようになった[9]。 阪急の店舗の中では下から3番目の規模で営業面積が9千平方メートルに過ぎなかった[10]。このため、大丸、島屋といった近隣の大規模な老舗百貨店との差別化を図ろうと、若者向けのファッションに特化した店舗展開を行い[6]、1980年代にデザイナーズブランドを中心とした先端的な若者向けファッションを取り扱って若者の支持を集め[8]、1991年(平成3年)に売上高約171億円を上げていた[11]。 デザイナーズブランドブームが去ると競合店に客足を奪われた[12]ほか、若者向けのファッションに特化する戦略は4、5年で顧客が入れ替わるため、長期的な信頼関係を構築して売上を確保する百貨店の一般的な戦略が通用しなかった[6]。 阪急河原町駅の1日当たりの乗降客数が1997年(平成9年)に約8.8万人から2010年(平成22年)に約6.49万人に減少するなど店舗のある四条河原町の集客力が低下した一方で、ジェイアール京都伊勢丹開業で京都駅周辺の集客力が高まったこと[13]や、低価格の衣料専門店の台頭による「百貨店離れ」[2]などにより、京都地区の百貨店売上高の合計が2009年(平成21年)は約2597億円と2001年(平成13年)から約20%も減少する影響を受けていた[6]。 業績の改善を目指して2000年(平成12年)以降に2度の大規模な改装を行ったり[6]、2007年(平成19年)10月にグループの阪急電鉄が当店の向かい側の四条河原町北東角に商業施設「コトクロス阪急河原町」を開業した際には共同でスタンプラリーを行って四条河原町地区への集客力向上を図った[14]。 しかし、2005年(平成17年)3月期で売上高約71.49億円[15]、2006年(平成18年)3月期で前年比7.3%減の売上高約66.25億円[4]、2007年(平成19年)3月期で売上高約66.75億円[16]、2008年(平成20年)3月期で売上高約66.31億円[17]と低迷していたところに、リーマンショック後の消費低迷が加わり、2009年(平成21年)3月期に売上高約56.14億円[18]、2010年(平成22年)3月期に売上高約45.74億円[19]とさらに大きく落ち込み、赤字が続いていた[11]。
概要
競合店との差別化
経営悪化
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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