四日市町_(米子市)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 鳥取県 > 米子市 > 四日市町 (米子市)

四日市町(よっかいちまち)は、鳥取県米子市にある町名郵便番号は683-0061(米子郵便局管区)。人口は111人、世帯数は48世帯(2011年6月1日現在)[1]
地理

城下の北部に位置し、城をL字型に囲む外濠沿いに東西に伸びる町人[2]。本通りに面し、隣接して東に紺屋町、西に東倉吉町がある[2]
歴史

近世・近代における四日市町は紺屋町に続く本通り筋で、総間数66間[3]。加茂川の善光院橋に通ずる小路があると記されている[3]

町の営業特権は鍛冶、鋳物やその付属品を主とし、鍛冶町の別名もあった[3]

この町には後に米子町政のために町会所が設置されて町年寄などが月番で御觸書の伝達、請願書の取次、種々の許認可事務に当たった[3]

元禄8年(1695年)には家持30戸、借家67戸[3]明治2年(1869年)の調べでは表通り51戸、裏通り22戸、人口297人となっている[3]。明治21年(1888年)の戸数は農業21戸、商業45戸、雑業19戸の計85戸、地方税38円余、町費67円余、申合わせ費19円余を納める[2]

町名の由来は日野川下流の旧戸上山城下四日市村からの住民移住によるとされる[3][4]
政治
区長

町村制第六十八條に依り區を設け各區に區長區長代理者一名宛を置き、各其の任期を四ヶ年とし區域の大小により區長には一ヶ年最低十圓より最高二十圓迄、區長代理者は一様に年額三圓の報酬を支給した[5]

当選

明治22(1889)年中當選 - 第十四区 佐藤武八郎[5]


明治26(1893)年中當選 - 四日市区 森脇由太郎[6]


明治29(1896)年中當選 - 四日市区 清水光五郎[7]


明治32(1899)年中當選 - 四日市区 船越?次郎[8]


明治35(1902)年中當選 - 四日市区 大谷竹治郎[8]


明治37(1904)年中當選 - 四日市区 大江喜太郎[9]


明治38(1905)年中當選 - 四日市区 高浜安太郎[9]


明治41(1908)年中當選 - 四日市区 瀬尾宣知[10]


大正10(1921)年中當選 - 四日市区 渡部梅太郎[11]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef