四十八人目の忠臣
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四十八人目の忠臣
著者
諸田玲子
発行日2011年10月12日(単行本)
2014年10月17日(文庫本)
発行元毎日新聞社(単行本)
集英社(文庫本)
ジャンル歴史小説
日本
言語日本語
形態四六判
文庫判
ページ数464(単行本)
574(文庫本)
公式サイト ⇒books.mainichi.co.jp(単行本)
books.shueisha.co.jp(文庫本)
コードISBN 978-4-620-10774-5(単行本)
ISBN 978-4-08-745235-8(文庫本)

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『四十八人目の忠臣』(しじゅうはちにんめのちゅうしん[1][2]、よんじゅうはちにんめのちゅうしん[3])は、諸田玲子による歴史小説。『毎日新聞』夕刊にて2010年6月3日から2011年6月6日まで連載された後、毎日新聞社より2011年10月に刊行された。2012年、第1回歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞作[4]

赤穂藩浅野家の江戸屋敷に奥女中として仕えるきよを主人公に、四十七士の1人・磯貝十郎左衛門と恋仲になり、吉良邸討ち入りを助け、本懐後は将軍家に近づいて赤穂浅野家の再興を図る姿を描く。

『忠臣蔵の恋?四十八人目の忠臣?』(ちゅうしんぐらのこい?しじゅうはちにんめのちゅうしん?)と題してテレビドラマ化され、NHK土曜時代劇にて2016年9月から2017年2月まで放送された[5]
あらすじ

赤穂藩浅野家の江戸屋敷で、藩主の妻・阿久里の侍女として仕える15歳のきよは、浅野家の家臣で藩主・長矩小姓として若くして出世した磯貝十郎左衛門と恋仲にあった。武芸を奨励し、気難しい性格の長矩公がただの女中であるきよと、小姓として気に入っている十郎左衛門が一緒になることを容易に認めてくれるとは思えず、まずは外堀を埋めていこうと画策し、きよは十郎左衛門の老齢の母・貞柳尼の世話をして信頼を得ようとするが、貞柳尼は2人の思惑を簡単に見破り、主君の不興を買うような真似をしないよう釘を刺す。

長矩が勅使饗応役に任命され、藩内が慌しくなる中、阿久里の代参で五百羅漢寺に詣でたきよの目の前で、長矩と阿久里が寄進した仏像の首が抜け、何かの凶兆かと怯える。長矩が無事に役目を終えられるよう祈りながら、いつものように仕事をこなすきよたちの元に、長矩が殿中で刃傷沙汰を起こしたと知らせがもたらされる。なかなか情報が入ってこず、やきもきする家中に、長矩切腹の報が入り、事態はめまぐるしく変化する。十郎左衛門は仇討のための下準備を始め、きよは阿久里の命で浪士たちの近況を知らせる役目を負う。十郎左衛門は夫婦にはなれないときよに伝えるが、それでも構わないからと契りを交わし、束の間の幸せを噛みしめる。十郎左衛門のためだけでなく、主家のために忠義を果たさんとの強い思いで、きよは伝手を辿って吉良邸に女中として入り、吉良上野介の妻・富子に仕える。四十八人目の忠臣として、何か討ち入りのためになりたいと思っていたきよだったが、仲睦まじい老夫婦の姿を見るうちに、自分のすることを考え気がくじけていく。

そうして時は過ぎ、吉良邸への討ち入りが決行され、赤穂浪士たちは本懐を遂げる。泉岳寺へ向かう隊列を褒めたたえる群衆の中に、一人涙するきよの姿があった。助命嘆願は届かず、浪士は切腹、遺児たちには遠島処分が下された。1年と1月後、きよは新たに甲府藩主・徳川綱豊の屋敷へ奉公に上がり、間もなくして綱豊公の寵愛を受け側室となる。宝永元年(1704年)、将軍世嗣と決まり将軍・綱吉の養子となった網豊公は江戸城へ入り、名を家宣と改める。きよも側室として同行し、家宣が将軍に就任した年に男児を出産する。家宣の寵愛を得たきよは、男児を産んだ褒美として赤穂浅野家の再興と島流しとなっていた遺児たちの恩赦を願うのだった。
登場人物
主人公とその家族
きよ→喜世→左京の方→
月光院〈15→20代後半〉
赤穂藩主の浅野内匠頭長矩の妻・阿久利に仕える侍女での名手。その美貌から、「浅草小町」と呼ばれている。父はかつて加賀前田家に仕えた武士であったが、由々しき事件を起こし、その身分を捨てる。父は堀内道場で槍術の指南をしていたことがある。兄は安兵衛から剣術の稽古をつけてもらったことがある。密かに磯貝正久と愛し合っており、いつか夫婦になりたいと思っているが長矩の刃傷沙汰で運命が変わってしまう。浅野家断絶後、瑤泉院(阿久利)から浪士を助けるよう命じられ、「四十八人目の忠臣」になる。磯貝と市井で身を潜め暮らしていたが、吉良家の内情を探るべく上杉家下屋敷へと奉公に上がる。その際、母の名を偽名に使う。仇討ちの後、桜田御殿へ奉公に上がり綱豊(後の徳川家宣)の手がつき身も心も捧げ生まれ変わる覚悟を決めて体を委ね寵愛される。綱豊(家宣)が将軍後継者として指名され、自身も側室となり江戸城西の丸大奥へ上がることとなり大奥では「左京の方」と名を改める。命を繋ぐ決心をし、やがて懐妊し、鍋松(後の徳川家継)を産む。家宣の逝去後は、落飾し「月光院」となる。
善左衛門
4つ年上のきよの兄。暴れ者で喧嘩っ早いため、「けんかえもん」と呼ばれる。のちに浅野家奥御殿で奉公していた時のきよの同輩・つま(後述)と夫婦になる。きよが江戸城大奥に上がり、鍋松を産んだ前後ごろ。出家し[6]父の後を継ぎ、林昌軒の住職になる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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