四元素
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この項目では、西洋の四元素説について説明しています。インドの四大元素説については「元素#古代インド」をご覧ください。

「四大元素」はこの項目へ転送されています。アルチンボルドの絵画については「四大元素 (絵画)」をご覧ください。
パラケルスス派の医師ロバート・フラッド(en)『両宇宙誌=大宇宙誌』(1617)より、「四元素のピラミッド」。元素が整然と階層をなしている様子を表す。火(羅:ignis)・空気(羅:aer)の領域と水(羅:aqua)・地(羅:terra)の領域に分けることで、四元素における形相質料の度合いを示している[1]

四元素(しげんそ、ギリシア語: Τ?σσερα στοιχε?α)とは、この世界の物質は、空気(もしくは風)[2]の4つの元素から構成されるとする概念である。四元素は、日本語では四大元素、四大、四元、四原質ともよばれる。古代ギリシアローマイスラーム世界、および18?19世紀頃までのヨーロッパで支持された。古代インドにも同様の考え方が見られる。中国の五行説と類比されることも多い[注釈 1]

エンペドクレスの説がよく知られるが、アラビア・ヨーロッパの西洋文化圏で広く支持されたのはアリストテレスの説であり、四元素を成さしめる「熱・冷・湿・乾」の4つの性質を重視するため、四性質ともいわれる。4つの元素は、土や水など、実際にその名でよばれている具体物を指すわけではなく、物質の状態であり、様相であり[3]、それぞれの物質を支える基盤のようなものだとされた[4]
歴史
エンペドクレス以前詳細は「元素#古代ギリシア」を参照

古代ギリシャの哲学者の間で、万物の根源、原初的要素として「アルケー古代ギリシア語: ?ρχ?、: arkh?)[5]」が用いられた。この意味ではじめて「アルケー」を用いたのは、アナクシマンドロスとされている。タレースは、アルケーは「水」であるとし、アナクシメネスは「空気」、クセノパネスは「土」、ヘラクレイトスは「火」(そしてパルメニデスは両者の折衷で「火・土」)であるとした[6]
エンペドクレス

上記の先行する4説を折衷・統合し、四元素説を最初に唱えたのはエンペドクレスだといわれ、アルケーは「火」「空気」「水」「土()」(古代ギリシア語: πυρ, α?ρ, ?δωρ, γη、ギリシア語: φωτι?, α?ρα?, νερ?, γη)を4つのリゾーマタ(古代ギリシア語: ?ιζ?ματα、「物質」の意)であるとした[注釈 2]。絶対的な意味での生成・消滅を否定し、四元素が様々に離散集合し、自然界の変化が生じるとする説を唱えた[7]。四元素の混合によって諸々の事象の生成が、分離において事象の消滅が説明される[8]

元素の混合と分離を可能にする動的な力として、元素を結合させる「愛」(ピリア、ピロテス)と分離させる「憎」あるいは「争い」(ネイコス、エリス)が導入された[9]。ただし、四元素は活力のないただの物質ではなく、それ自体が運動性能を持ち、「愛・憎」は元素に運動の方向性を規定する原理と考えられる[8]。宇宙のプロセスは、「愛の完全支配期 → 憎の伸長期 → 憎の完全支配期 → 愛の伸長期」の4つの段階が円環的な周期をなしてめぐっており、2つの伸長期には、四元素は可視的な事象・生物となって生成し消滅するとされた[8]
プラトン

プラトンは後期の著作『ティマイオス』で四元素説を受け継いだが、エンペドクレスの考えとは異なり、これらの元素は複合体であり、分解できるばかりでなく、相互転化すると考えた。

四元素と5種類の正多面体(プラトン立体)のうち4つを対応させ、土は正方形からなる正六面体で、他の元素は三角形からなる正多面体であり、水は正二十面体、空気は正八面体、火は正四面体で、ひとつの正多面体が基本の三角形に解体して別の正多面体を作ることで、元素から元素への転化が起こると解釈した。(正五角形から成る正十二面体は、宇宙のためにあるという理由で元素の対応から外された)[10]。土が最も重く、次いで水、空気、火が最も軽く、各元素はそれぞれの重さに応じて運動し互いに入り混じると考えた[11]


正六面体(地)正二十面体(水)正八面体(空気)正四面体(火)正十二面体

アリストテレス

アリストテレスは師プラトンの元素論を批判しつつも、四元素の相互転化という考え方を受け継いだ。火、空気、水、土の4つを「単純物体」と呼び、ほかの物体はこれらで構成されていると考えた。しかし四元素を「いわゆる構成要素」と表現しており、最終的な構成要素ではないとしている。単純物体を構成する要素として、「熱・冷」「湿・乾」という二対の相反する性質を挙げ、これらの組み合わせによって成り立ちを説明した[12]。すなわち、形相(エイドス)も性質も持たない純粋な質料(ヒュレー)「プリマ・マテリア(第一質料[1]」に「熱・冷」「湿・乾」のうち2つの性質が加わることで、各元素が現れる。火は熱・乾、空気は熱・湿、水は冷・湿、土は冷・乾という性質から構成されており、性質のひとつが反対の性質に置き換えられることで、相互に転嫁すると考えた。彼の説において重要な役割を持っているのは、四元素よりむしろ「熱・冷」「湿・乾」という相反する2つの性質のペアであるため、アラビア・ヨーロッパで広く普及したアリストテレスの四元素説(四原質説)は、むしろ四性質説と呼ぶのが適当であり[13]、プリマ・マテリア(第一質料)を究極の質とする一元論である[14]

また、四元素が主に月下界(地上)の物質を構成するのに対し、天上界(恒星と惑星の世界)は第五元素が構成するとした。四元素からなる地上は時間とともに変化・腐敗するが、第五元素から成る天上界は不変であるとされた。また、プリマ・マテリアは第五元素と同一視された[14]
アリストテレス以後

アリストテレスの四元素説は、ギリシャローマ医学の基礎となる体液病理説「四体液説」と関連付けられ、医学・薬学においても重要な理論であった。キリスト教を国教とした東ローマ帝国では、6世紀頃、異教徒・異端の学者が激しく迫害され、学者たちが大勢亡命したことで、ギリシャ・ローマの学問はアラビアに伝わった。四元素説は、アリストテレス哲学の強い影響力と相まって、哲学神学錬金術(実質的にアラビアに始まるといわれる[3])、科学(アラビア科学)、医学(ユナニ医学)等に影響を与え、ビザンツ・アラビア、中世ラテン世界といった西洋世界で主流を占める物質観になった。
錬金術詳細は「錬金術」を参照

アリストテレスの物質観においては、任意の物質にたいして「熱・冷」「湿・乾」といった原理的には単純な操作を行い、四元素の配合を金と同じに変化させることができれば、を作りだすことができると考えられるため、錬金術との相性が良く[13]、「硫黄=水銀理論」(または、これに塩(えん)を加えた三原質説)と並ぶ錬金術の基礎理論となった。ヨーロッパの錬金術師たちは、錬金術と占星術を結び付け、四元素と黄道十二宮は対応関係にあり、4つの基本性質、季節も黄道十二宮の支配を受けると考えた[4]
医学詳細は「ユナニ医学」および「四体液説」を参照

ヨーロッパの大学では、西洋近代医学誕生まで、四体液説、四元素説をベースとするユナニ医学(ギリシャ・アラビア医学)が主流となり、イブン・シーナーの『医学典範』などが教科書として使われた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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