噂の刑事トミーとマツ
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噂の刑事トミーとマツ
ジャンルテレビドラマ
出演者国広富之
松崎しげる
志穂美悦子
石井めぐみ
清水章吾
井川比佐志
林隆三
石立鉄男
製作
プロデューサー春日千春
千原博司[1]
(大映テレビ)
樋口祐三[2]
野村清[3]
(TBS)
制作TBS
大映テレビ

放送
放送国・地域 日本

第1シリーズ
放送期間1979年10月17日 - 1981年3月25日
放送時間水曜日20:00 - 20:55
放送分55分
回数65

第2シリーズ
放送期間1982年1月13日 - 12月22日
放送時間水曜日20:00 - 20:55→20:00 - 20:54
放送分55分→54分
回数41
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『噂の刑事トミーとマツ』(うわさのけいじトミーとマツ)は、1979年から1982年まで2期にわたってTBS系列で毎週水曜日20:00 ‐20:54(JST、1982年9月までは20:00 ‐20:55)に放送されていたテレビドラマ
概要

外見も性格も対照的な2人の刑事、警視庁富士見署捜査課の岡野富夫(トミー)と松山進(マツ)の名コンビ(劇中では「トミマツ」、失敗時には「オソマツ」「ドジドジコンビ」と呼ばれている)が時には衝突し時には協力しながら事件を解決まで導いていく。

毎回クライマックスの格闘・銃撃戦シーンで怖じ気づくトミーにマツがしびれを切らし、「お前なんか男じゃない、おとこおんなで十分だ! おとこおんなのトミコ!」と怒鳴りつけると、トミーがその言葉に発奮して一瞬にして悪党をなぎ倒すと言う展開が定番となっていた。また当時の刑事ドラマとしては珍しく捜査員の殉職シーンが無く(出演者の降板は異動や退職という設定)、全体的に明るい作風となっている。

企画当初の番組名は「噂の刑事」だけだったが、松崎しげるが、「アメリカの刑事ドラマで『刑事スタスキー&ハッチ』や、『白バイ野郎ジョン&パンチ』など、2人のコンビネーション(バディー)による刑事ものが好きだった」という意見を脚本家が取り入れて、実質的に主演した2人の愛称(国広富之=トミー、松崎しげる=マツ)を冠化し現在のタイトルに変更された[4]。なお、国広と松崎の主演の二人はそれまで面識が無く、松崎は「互いに腹に一物あった」ということから第2話くらいまでは演技がぎこちなく、演技ががっちり噛み合うようになったのはその後だったと話している[5]

当時、日本の刑事ドラマでは『太陽にほえろ!』(日本テレビ)、『Gメン'75』(TBS)、『特捜最前線』(テレビ朝日)など、捜査員や犯人の人間模様を描く群像劇が主流となっていた。一方、当時の海外ドラマでは若い捜査員がコンビを組むバディ作品が多く作られており、製作局となったTBSでも『刑事スタスキー&ハッチ』が放送され高い人気を得ていた。本作は『スタスキー&ハッチ』を元に作られた国内刑事ドラマにおける「バディもの刑事ドラマ」の元祖であり、「和製スタ・ハチ」とも言われていた[6]

第1シリーズの視聴率は平均17%(ビデオリサーチ、関東地方)を記録し人気番組となったが、国広と松崎のスケジュール調整が困難になってきたことで一旦1981年3月限りでの終了を決めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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