「加藤隆行」、「加藤貴之」、あるいは「加藤貴之 (野球)」とは別人です。
嘉藤貴行
基本情報
国籍 日本
出身地東京都大田区
生年月日 (1981-11-05) 1981年11月5日(42歳)
身長162.6cm(2021年)
体重50.0kg(〃)
血液型A型
騎手情報
所属団体JRA
所属厩舎美浦・田中清隆(2000年3月 - 2008年9月)→
美浦・フリー(2008年10月 - 引退)
初免許年2000年
免許区分平地・障害[1]
騎手引退日2021年12月31日
通算勝利5590戦158勝
(JRA5485戦157勝、地方競馬105戦1勝)
調教師情報
初免許年2022年
経歴
所属美浦T.C. (2000年-)
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嘉藤 貴行(かとう たかゆき、1981年11月5日 - )は、JRA・美浦トレーニングセンターに所属する調教師で、元騎手。 大井競馬場近くの東京都大田区大森で育つ。競馬とは縁のない家庭であり、ゲーム「ダービースタリオン」で競馬に興味を持ち、身長が低いこともあって競馬学校を受験し合格する[2]。2000年、JRA競馬学校を卒業。同期には梶晃啓
来歴
初騎乗は3月4日、中山競馬3レースでウインワイズマンに騎乗し16頭中9着。初勝利は同日の12レースでリアルヴィジョンに騎乗し3戦目で挙げた。同年19勝をマークし、民放競馬記者クラブ賞を受賞。デビュー3年目の2002年には菊花賞トライアルのセントライト記念で11番人気マイネルアムンゼンに騎乗し3着に入り、第63回菊花賞でGI初騎乗を果たした。
2008年10月1日付で美浦・田中清隆厩舎所属からフリーとなった[3]。
デビュー5年目から勝利数1桁台が続き2010年はわずか1勝に終わるなど伸び悩み引退も考え、鹿戸雄一厩舎で調教助手になる手続きも進めていたが、2012年になりミルファームからの騎乗依頼が急増[4]。また、競馬場帰りのタクシーで乗り合わせた横山典弘に励ましてもらったこともあり踏みとどまれたという[5][6]。
2012年6月2日の東京競馬5レースでミルファーム所有のインティワタナに騎乗しJRA通算100勝を達成。「勝てない時期には辞めようかと思ったこともありましたが、今は続けてきてよかったという気持ちです」とコメントした[7]。
2012年8月4日の新潟競馬5レース新馬戦でミルファーム所有の14番人気ミナレットに騎乗し勝利[8]。12番人気と10番人気が2着同着で3連単の的中は2通りとなり、14→12→10番人気の組み合わせが1レースにおける公営競技史上最高の2983万2950円の払戻を記録した。もう一方の組み合わせも1491万6520円でJRA史上5位の払戻となった[9][10][11]。
2014年の阪神ジュベナイルフィリーズで12年ぶりのGI騎乗。同年に新馬戦からコンビを組むコメートでホープフルステークス2着に入り重賞初連対。翌年にはデビュー16年目にしてコメートで日本ダービーに初騎乗し、16番人気ながら5着に粘り込む健闘を見せた。レース後は検量室で号泣した[12]。
2016年11月25日に入籍した[13]。婚姻届を出す際には、「出馬投票時に騎手の名前を書く時に、書きやすいほうが騎乗を頼まれやすいのではないか」と考え、苗字を「加藤」に変えられないかと調べたという[14][15]。
2021年12月9日、JRAより2022年度新規調教師免許試験に合格したことが発表された[16][17]。2回目の受験で合格した[18]。これに伴い、同年12月31日付けで騎手を引退。12月28日中山10Rでアイアムイチオシに騎乗して8着、これが騎手として現役最後の騎乗となった[19]。
2022年1月1日付けで調教師に転身し、3月1日より厩舎を開業した。同年3月20日中山第7競走をコスモコラッジョで勝利し、開業5戦目で初勝利[20]。騎手時代 年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
騎乗成績
2000年192219288.066.142.208
2001年182834415.043.111.193
2002年192021370.051.105.162
2003年111830326.034.089.181