台湾省 嘉義市別称: 諸羅山・桃城
時計回りに上から: 嘉義市の夜景、嘉義孔子廟、蘭潭ダム
嘉義市(ジアーイー/かぎ-し)は、台湾南部に位置する市。当市を中心に嘉義都市圏を形成している。 嘉義市は台湾西南部の嘉南平原北端に位置し北回帰線が市内南部を通過している。東西約1.5km、南北約10.5kmであり、周囲は嘉義県に囲まれている。地形は東部の一部が竹崎丘陵地
地理
主要河川には八掌渓、朴子渓があり、それぞれ市内の南北を流れており、嘉義県との境界を形成している。土壌はきめ細かい粘土質であり保水性に乏しく、そのため水は八掌渓の蘭潭水庫及び仁義潭水庫より灌漑されている。 気候は温帯夏雨気候 (Cwa)(熱帯モンスーン気候 - 温暖湿潤気候移行部型)に属し、気温は7月が最高、1月が最低であり、年間平均気温は23.3℃である。年間降水量は2,000mm、温暖な気候と豊富な降水量により農業が発展する有利な条件を有している。 嘉義市 (1971-2000)の気候 嘉義市の旧称は諸羅山 (Tirosen)である。台湾原住民平埔族ホアニア族ロツァ支族の集落「ツウロウサン」と台湾語音が類似する諸羅山社 (Chu-lo5-san) に宛てた。別称には桃城があるが、これはこの地に築城された古城が桃に似ていたことから命名された。現在でも古城が位置した中央七彩噴水一帯を桃仔尾と称している。 諸羅山は中国大陸からの移民の拠点の一つとして発展した。
気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)21.8
(71.2)22.0
(71.6)24.7
(76.5)27.9
(82.2)30.3
(86.5)32.2
(90)32.9
(91.2)32.2
(90)31.6
(88.9)29.8
(85.6)26.9
(80.4)23.7
(74.7)28.0
(82.4)
日平均気温 °C (°F)16.1
(61)16.8
(62.2)19.4
(66.9)22.9
(73.2)25.5
(77.9)27.6
(81.7)28.4
(83.1)27.8
(82)26.7
(80.1)24.3
(75.7)20.9
(69.6)17.4
(63.3)22.8
(73)
平均最低気温 °C (°F)12.1
(53.8)13.3
(55.9)15.5
(59.9)18.9
(66)21.8
(71.2)24.0
(75.2)24.9
(76.8)24.6
(76.3)23.2
(73.8)20.6
(69.1)16.8
(62.2)13.0
(55.4)19.1
(66.4)
雨量 mm (inch)27.6
(1.087)57.7
(2.272)62.2
(2.449)107.6
(4.236)189.2
(7.449)350.7
(13.807)304.3
(11.98)422.1
(16.618)148.9
(5.862)22.7
(0.894)12.2
(0.48)20.9
(0.823)1,726.1
(67.957)
平均降雨日数 (?0.1 mm)5.47.07.48.411.114.414.918.19.83.63.03.7106.8
% 湿度81.883.183.784.184.582.080.483.684.784.181.480.382.8
平均月間日照時間153.2121.8143.0150.3156.8176.9208.6184.1186.9174.0151.7158.71,966
出典:[2]
地域嘉義市地域区分
西区
東区
行政区画の変遷
1920年 - 行政区域改革により、嘉義庁嘉義区が台南州嘉義郡嘉義街となる。
1930年 - 嘉義郡嘉義街が市制施行し、嘉義市が発足。
1945年 - 中華民国国民政府による台湾光復後、嘉義市は省轄市となり台湾省に帰属するようになった。東門区・西門区・北門区・南門区・八獎区・竹囲区・北鎮区・東山区八区を設置。
1946年 - 行政区域調整が実施され、8区を6区に統合。(6区)
東門区・東山区が合併し、新東区が発足。
西門区・竹囲区が合併し、新西区が発足。
南門区・八獎区が合併し、新南区が発足。
北門区・北鎮区が合併し、新北区が発足。
台南県嘉義区水上郷を編入、区制施行し、水上区となる。
台南県東石区太保郷を編入、区制施行し、太保区となる。
1946年-1950年嘉義市地域区分
1950年 - 行政区域調整が実施され、6区を4鎮2郷に統合(4鎮2郷)と台南県嘉義区・台南県東石区が合併し、嘉義県を設置。
新東区が新東鎮に改称。
新西区が新西鎮に改称。
新南区が新南鎮に改称。
新北区が新北鎮に改称。
水上区が水上郷に改称。
太保区が太保郷に改称。
1951年 - 新東鎮・新西鎮・新南鎮・新北鎮が合併し、嘉義市を設置し、県轄市となる。
1982年 - 嘉義市は県轄市より省轄市に昇格。
1990年 - 区制施行し、東区・西区二区を設置。
1994年 - 省轄市が市に改称される。
日本統治時代嘉義市の町名一覧
新高町
栄町
山下町
西門町
宮前町
新富町
東門町
末広町
朝日町
K金町
檜町
堀川町
北門町
玉川町
元町
白川町
南門町
歴史
古代
近世
1621年、福建?州より顔思斉が笨港より上陸し付近の開墾に着手した。
オランダ統治
1624年、オランダ人による台湾統治が開始されると、当初は台南を中心にしていたが、その後諸羅山一帯の平埔族集落を占領すると、嘉義地区の経営にも着手した。
鄭氏政権
1661年、鄭成功がオランダ勢力を駆逐、台湾に一府二県を設置した。2県は新港渓(現在の塩水渓
大清帝国
1683年、台湾を領有した清朝は翌年台湾府を設置、3県を統括することとなり、嘉義は諸羅県
1704年、県治が佳里興より諸羅山(現在の嘉義市)に移され、木柵の築城が見られた。雍正年間、知県の孫魯は木城を土城に改築、1727年には知県の劉良により門楼、砌水洞、砲座が設置された。このように防備を固めた県城は1786年に林爽文の反乱が発生し諸羅城を10ヶ月に亘り包囲した際にも陥落することは無く、またこの際に城内の住民が清軍に協力して防衛したことから清朝より「嘉其死守城池之忠義(城を死守した忠義を嘉す)」との聖旨を受け、翌年11月3日に詔勅を以って「諸羅」を「嘉義」と改称した。