嘉定(かてい)は、中国・南宋の寧宗の治世に使用された元号。1208年 - 1224年。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}プロジェクト 紀年法 嘉定元年2年3年4年5年6年7年8年9年10年
西暦等との対照表
西暦1208年1209年1210年1211年1212年1213年1214年1215年1216年1217年
干支戊辰己巳庚午辛未壬申癸酉甲戌乙亥丙子丁丑
金泰和8大安元大安2大安3崇慶元崇慶2
至寧元
貞祐元貞祐2貞祐3貞祐4貞祐5
興定元
西夏応天3応天4皇建元皇建2
光定元光定2光定3光定4光定5光定6光定7
嘉定11年12年13年14年15年16年17年
西暦1218年1219年1220年1221年1222年1223年1224年
干支戊寅己卯庚辰辛巳壬午癸未甲申
金興定2興定3興定4興定5元光元元光2正大元
西夏光定8光定9光定10光定11光定12乾定元乾定2
出来事
開禧3年
12月26日:翌年より踰年改元の詔が下る。
嘉定元年
2月:?州黒風?の瑤族の羅世伝が反乱。
3月19日:秦檜の王爵が追復される。
閏4月28日:韓?冑の首を両淮地方に梟した後、金に送る。
9月22日:金と和約を結ぶ(3度目)。両国関係は伯姪と定め、国境は開禧北伐の以前通りに戻す。宋が金に送る歳幣は増やす。歳幣の内容として、銀は10万両増えて30万両、絹は10万匹増えて30万匹となる。
10月10日:史弥遠が右丞相となる。
嘉定2年
2月6日:青羌が黎州を急襲する。
5月4日:史弥遠が単独宰相となり政権を握る。
11月:黒風?の李元礪が乱を起こす。
12月9日:朱熹に「文」の諡が贈られる。道学の禁令も完全に解ける。
12月29日:詩人の陸游が死去。
嘉定3年
正月15日:群盗を招諭する詔勅が出る。
4月6日:李元礪の率いる蛮寇が南雄州を急襲する。
5月18日:沿海諸州に海賊の取締を促す。
12月12日:羅世伝が李元礪を捕らえて投降する。
嘉定4年
2月2日:李元礪を誅す。
6月7日:金に派遣された南宋の使者がモンゴルの侵寇に会って還る。
9月12日:叙州の蛮寇が辺境を侵す。
9月26日:羅世伝の殺害により黒風?の反乱が平定される。
10月26日:金の混乱に備え、江淮・京湖・四川の防御を厳重にする。
嘉定5年
正月21日:諸路に両浙の倍役法が施行される。
3月3日:叙州の蛮寇が平定される。
嘉定6年
2月24日:宗室と胥吏の通婚を禁ずる詔勅が出る。
8月2日:思州知州の田宗範が反乱を企てると、これを討伐する。
閏9月29日:雷の異変により寧宗の「罪己詔」が下る。
10月:モンゴルが金の中都を包囲する。
11月17日:虚恨蛮が嘉定府を侵す。
嘉定7年
正月元日:四川の宋軍が金の境内に入って秦州を攻めたが、敗退する。
2月12日:黎州の青羌が投降する。
5月:金が開封へ遷都する。
6月24日:嘉定府に辺丁を置いて諸蛮に備える。
7月:西夏の使者が四川に来て金を挟撃することを議論したが、答えない。
7月27日:真徳秀の上奏により金に対する歳幣支給の停止を決める。
嘉定8年
3月17日:南宋が金に和議の維持を条件付で歳幣の減額を求めたが、金はこれを拒否する。
5月:モンゴルが中都を攻め落し、そこに行省を置く。
嘉定9年
正月:馬軍司水軍が設置される。
4月15日:秦州の流民10万人が帰順を請じたが、四川制置使により断られる。
嘉定10年
4月1日:金が南宋からの歳幣停止を理由に侵攻開始。
5月27日:中原の官民を招諭する詔勅が出る。
7月9日:雅州の蛮寇が辺境を侵す。
12月27日:金軍が大散関
嘉定11年
正月10日:山東の盗賊の李全が帰順して来る。
3月17日:宋軍が大散関を奪還し、金軍を追撃して大破する。
12月:金が和議を求めて来たが、南宋はこれを拒否する。金は南侵を再開。
嘉定12年
2月27日:棗陽軍を攻めた金軍が退却する。
閏3月:金軍が淮南を蹂躙する。
閏3月28日:興元府の軍人の張福が反乱。
7月3日:張福を誅す。
9月14日:沿江淮東西制置司が設置される。
嘉定13年
正月:淮北に入った宋軍が勝てずに還る。金軍が樊城を攻めたが、宋の守備軍により撃退される。
5月1日:雅州の蛮夷が投降する。
8月15日:南宋と西夏が金を挟撃することに約する。
10月:南宋・西夏連合軍が鞏州を攻めたが、戦果なしに還る。
嘉定14年
2月:鄂州の五関と漢陽軍が金軍により侵される。
4月14日:北還中の金軍が李全の迎撃を受けて敗退する。
5月22日:『慶元寛恤詔令』が再び公布される。
6月21日:臨安に岳飛の廟堂が建てられる。
7月5日:モンゴルに使行した南宋の使者が「恭膺天命の宝」を得い、これを寧宗に捧げる。