営団6000系電車
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営団地下鉄6000系電車
小田急線内を走行中の6000系電車
(2014年12月 祖師ヶ谷大蔵駅
基本情報
運用者帝都高速度交通営団
東京地下鉄
KRLコミューターライン
製造所川崎重工業近畿車輛汽車製造
日本車輌製造東急車輛製造
製造年1968年(1次試作車)
1969年(2次試作車)
1970年 - 1990年
(量産車)
製造数36編成353両
運用開始1971年4月20日
運用終了2018年10月5日(定期運用)
2018年11月11日(特別運転)[1][2]
投入先千代田線
主要諸元
編成10両編成
軌間1,067 mm
電気方式直流1,500V
架空電車線方式
設計最高速度100 km/h
起動加速度3.3 km/h/s
減速度(常用)3.7 km/h/s
減速度(非常)4.7 km/h/s
車両定員先頭車136(座席48)人
中間車144(座席54)人
自重22.5 - 33.0t(1次量産車落成時)
24.8 - 36.1t(6次量産車落成時)
全長20,000 mm
全幅2,800 mm
全高非冷房車通風器 3,900 mm
冷房キセ 4,135 mm
パンタグラフ折りたたみ 4,145 mm
床面高さ1,200 mm
車体アルミニウム合金
台車Sミンデン式FS-378/FS-378A形台車
SUミンデン式FS-378B形・FS-523形台車
主電動機直流直巻電動機
主電動機出力145 kW
駆動方式WNドライブ
歯車比98:15 (6.53)
制御方式電機子チョッパ制御
制動装置ATC連動電気指令式空気ブレーキ回生ブレーキ併用)
保安装置新CS-ATC(ATC-10)OM-ATS
備考上記データは1次 - 6次量産車落成時のデータ
第12回(1972年ローレル賞受賞車両
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営団6000系電車(えいだん6000けいでんしゃ)は、1968年昭和43年)に登場した帝都高速度交通営団(営団)の通勤形電車である。2004年平成16年)4月の営団民営化に伴い、東京地下鉄(東京メトロ)に継承された。
概要

20m4扉のアルミ合金車体、制御方式として回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御方式といった当時の最新技術を積極的に採用し、「耐用年数40年以上、新技術の導入、保守の容易化、車両の軽量化」を設計の基本としている。1968年昭和43年)から1990年平成2年)まで試作車・量産車あわせて36編成353両が製造された[3]

1971年3月20日千代田線大手町 - 霞ケ関間延伸開業に合わせて営業運転が開始された[4]。この前年の1970年に電機子チョッパ制御車として日本初の営業運転を開始した阪神電気鉄道7001・7101形は、回生ブレーキのない力行専用車であった[5]

千代田線には、当初から電機子チョッパ制御を採用した本系列を投入する予定であったが、当時新しい制御方式であるチョッパ制御の開発・試験には大きく時間を要したことから、千代田線最初の開業には間に合わなかった[6]。このため、東西線用として製造していた5000系を千代田線に投入した[6]。ただし、千代田線での長期の運用を考慮しておらず、将来の東西線輸送力増強時には同線に転籍させることを考慮していた[6]

6000系のチョッパ制御と車体スタイルは、後に有楽町線用として登場した7000系や、半蔵門線用として登場した8000系に引き継がれた[7]

なお、6000系の後継・増備系列として1992年(平成4年)に06系10両編成1本が製造されたが、その後の増備には至らなかった(2015年に廃車)。後述の更新工事施工もあって「21世紀の電車」という登場時のキャッチフレーズそのままに、21世紀となった2000年代に入っても千代田線の主力車両として運用されていたが、本系列の代替を目的とした後継車16000系の登場により2010年(平成22年)から廃車が開始され、2018年(平成30年)に千代田線での運用を終了した[3]後述)。
受賞歴

1972年(昭和47年)3月25日に「直流電気車用主回路チョッパ制御装置の開発」による業績に対して、営団地下鉄理事(当時は車両担当)、日立製作所事業部長、三菱電機事業部長が連名で第18回(昭和46年度)大河内記念技術賞を受賞した[8]。1972年(昭和47年)度鉄道友の会ローレル賞受賞(1972年8月26日[8])。
車両概説
1次試作車(1968年)
外観・足回り機器など1次試作車
(2007年9月30日 綾瀬駅

1968年(昭和43年)4月、世界初のサイリスタチョッパ制御の実用化を図るために3両編成のアルミ合金製車両として登場した。製造は汽車製造が担当した。当初は6001 - 6003の車号とされた[9]。これ以前の営団地下鉄のチョッパ制御開発は「電機子チョッパ制御#営団地下鉄・阪神電鉄による試験」も参照

運転士への広い視界確保や非常扉を車掌台側に寄せることで運転台スペースを広く確保した[10]。運転台前のフロントガラスは大形化して、上部に行先表示器運行表示器を収めた[10]。このため前面デザインは非対称となり、正面の非常口は避難はしご を一体にした前倒し式である[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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