喜茂別駅
きもべつ
Kimobetsu
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所在地北海道虻田郡喜茂別町字喜茂別.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度47分59.9秒 東経140度55分43.9秒 / 北緯42.799972度 東経140.928861度 / 42.799972; 140.928861
喜茂別駅(きもべつえき)は、北海道(後志支庁)虻田郡喜茂別町字喜茂別にかつて置かれていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である。電報略号はキヘ。事務管理コードは▲131910[3]。
1980年(昭和55年)9月まで運行されていた、急行「いぶり」の停車駅であった。 喜茂別駅を称した駅は、2つ存在した。ひとつは胆振鉄道が開業した際に終着駅として設置した喜茂別駅(初代)。もうひとつは胆振鉄道を合併した胆振縦貫鉄道が、伊達紋別方面に路線を延長する際に、喜茂別駅(初代)と留産駅の間に新設した西喜茂別駅(にしきもべつえき)を国有化時に改称した2代目駅である。 胆振縦貫鉄道開業後は、西喜茂別駅 - 喜茂別駅(初代)間は貨物支線(キロ程0.7km)となっていたが、国有化の際に喜茂別駅(初代)は旧・西喜茂別駅構内に併合され、廃止となった。 所在地名(自治体名)より。 廃止時点で、単式ホーム2面2線を有する地上駅であった。ホームが千鳥式に配置された列車交換可能な交換駅であった[8]。互いのホームは、駅舎側ホーム西側と対向ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡した[8]。駅舎側ホーム(南側)が下りの1番線、対向ホーム(北側)が上りの2番線となっていた[8]。この2つのホームはかなり離れていた[8]。
歴史
1928年(昭和3年)10月21日 - 胆振鉄道京極駅 - 喜茂別駅(初代)間開通に伴い、開業。一般駅[1]。
1938年(昭和13年) - 喜茂別駅(初代)-字福島の日鉄鉱業上喜茂別鉱山間に、専用鉄道6.6kmが開通[4]。
1940年(昭和15年)10月 - 上喜茂別鉱山専用鉄道を胆振開発(株)へ貸与し、運用を一元化[5]。
1941年(昭和16年)
9月27日 - 胆振鉄道が胆振縦貫鉄道に譲渡(合併)される。それに伴い、同鉄道の駅となる。
10月12日 - 胆振縦貫鉄道徳舜瞥駅(後の新大滝駅) - 西喜茂別駅間延伸開通(西喜茂別駅新設)。同時に喜茂別駅(初代)は貨物駅となり、西喜茂別駅 - 喜茂別駅(初代)間は貨物支線となる。
1944年(昭和19年)7月1日 - 胆振縦貫鉄道が戦時買収により国有化され[1]、路線名を胆振線に改称。それに伴い、同線の駅となる。喜茂別駅(初代)及び貨物支線を西喜茂別駅構内に併合(喜茂別駅(初代)を廃止)し、西喜茂別駅を喜茂別駅(2代目)に改称[1]。
1957年(昭和32年)以降 - 日鉄鉱業喜茂別鉱山専用鉄道撤去[6]。
1980年(昭和55年)5月15日 - 貨物の取り扱いを廃止。業務委託となる[7]。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止[2][1]。
1986年(昭和61年)11月1日 - 胆振線の全線廃止に伴い、廃駅となる。
駅名の由来「喜茂別町」も参照
駅構造