喜納昌吉
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出典検索?: "喜納昌吉" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年7月)

喜納 昌吉
生誕 (1948-06-10) 1948年6月10日(75歳)
出身地沖縄中頭郡越來村(現:沖縄県 沖縄市
ジャンルウチナー・ポップ
担当楽器ボーカルギター三線
活動期間1967年 -
事務所(有)チャンプルーズ
共同作業者チャンプルーズ
公式サイト ⇒喜納昌吉&チャンプルーズ 公式サイト
著名使用楽器
Bill Lawrence

喜納 昌吉きな しょうきち
生年月日 (1948-06-10) 1948年6月10日(75歳)
出生地 沖縄民政府 中頭郡越來村
出身校琉球政府立普天間高校
国際大学除籍[1]
所属政党(民主党→)
無所属[2]
公式サイト ⇒喜納昌吉&チャンプルーズOFFICIAL WEB
参議院議員
選挙区比例区
当選回数1回
在任期間2004年7月26日 - 2010年7月25日
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喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年昭和23年〉6月10日 - )は、沖縄出身の日本人音楽家、平和活動家、政治家である。米軍占領下中頭郡越來村(現・沖縄県沖縄市)生まれ。琉球民謡を現代風にアレンジしたウチナー・ポップを確立した。バンド・喜納昌吉&チャンプルーズを率い、ヴォーカル、ギター、三線、作詞作曲を主に担当する。参議院議員(1期)、元民主党沖縄県総支部連合会代表[3]
略歴[ソースを編集]年表

1948年、米軍占領下のコザ市(現・沖縄市)に生まれる。

1961年、島袋中学入学。

1964年、琉球政府立普天間高等学校入学。

1967年、国際大学入学。友人兄弟で「チャンプルーズ」のもとになるバンド結成。民謡クラブ「ミカド」経営。

1969年、「ハイサイおじさん」を初レコーディング。父、喜納昌永監修の民謡全集「かりゆしぬ唄全集」に”喜納昌吉と喜納チャンプルーズ”名義で収録される。

1970年、国際大学除籍。

1972年、麻薬不法所持により琉球警察逮捕される。

1972年、初レコーディングバージョンの「ハイサイおじさん」がシングルカットされ、マルフク・レコードより発売。沖縄レコード業界史上空前のヒットとなる。

1973年、沖縄刑務所出所。

1976年、「ハイサイおじさん」が久保田麻琴中村鋭一らにカヴァーされ、本土でも知られる。

1977年、東京デビュー。アルバム「喜納昌吉とチャンプルーズ」をリリース。

1980年、第一回うるま祭りを提唱、実施。

1980年、アルバム「BLOOD LINE」リリース。「花?すべての人の心に花を?」が初収録された。

1982年、アルバム「祭」をリリース。

1983年、アルバム「THE CELEBRATIONS LIVE」をリリース。

1988年8月8日8時8分8秒、八ヶ岳で喜納の提唱により行われた「命の祭り」に参加。

1987年、タイで「花?すべての人の心に花を?」大ヒット、半年間チャートの1位を独占した。

1990年、アルバム「ニライカナイPARADISE」をリリース。

1991年、フランス、ブールジュ春の音楽祭に出演。

1991年、アルバム「Earth Spirit」をリリース。

1991年、NHK紅白歌合戦出場。

1992年、アルバム「チャンプルーズルネッサンス」リリース。

1992年、アルバム「IN LOVE」リリース。

1993年、韓国で行われた大田国際博覧会にて公演。

1993年、中国で「花?すべての人の心に花を?」大ヒット。

1993年、アルバム「RAINBOW MOVEMENT」リリース。

1994年、奈良東大寺大仏殿前特設ステージにてユネスコ世界遺産推進コンサート「あおによし」に出演。

1994年、中国での花の大ヒットをうけ中国政府の招きで北京、紫禁城にて公演。

1994年、ライ・クーダーとともに北米4都市ツアー(ワシントンDC、ニューヨーク、カナダ・トロント、ロサンゼルス)

1994年、英国ロンドン、クイーンエリザベス・ホールにてコンサート。

1994年、アルバム「火神」リリース。

1994年、西インド最大の文化イベントであるガーネーシャフェスティバルで公演。

1995年、終戦被爆50年祈念「黒潮祈りの巡礼 サバニ・ピース・コネクション」。沖縄西南端の与那国島から2000キロの距離を2ヶ月間かけて、25の島々を手漕ぎのサバニでつむぎ渡り、鹿児島県山川港に上陸。水俣大阪などを経由し8月6日に広島、8月9日には長崎の両市長に島々からの平和のメッセージを届けた。

1995年、中国北京天壇公園にて北京平和音楽祭に出演。

1995年、アルバム「CHAMPLOO」リリース。

1995年、第1回「遠藤実歌謡音楽大賞」受賞。

1996年、アトランタオリンピックにおいて行われた近代オリンピック百周年を記念する祭典にアジア大陸代表として出演。

1996年、サバニ・ピース・コネクションにより朝日新聞「海への功労賞」受賞。

1996年、「花?すべての人の心に花を?」 日本レコード大賞特別賞受賞。

1997年、中国北京万里の長城にて公演。

1997年、中国大連にてコンサート。

1997年、アルバム「すべての武器を楽器に」リリース。

1998年、喜納の環境保護活動に対し 「オメガアワード」受賞。

1998年、ベトナムカンザー地区にてマングローブの植林とコンサートを行う。

1998年、アルバム「赤犬子」リリース。

1998年、北米大陸をインディアン居留地伝いにバスツアーで横断した「白船計画」を実施。ニューヨーク国連本部、イロコイ連邦などではコンサートを行う。

1999年、台北・台中・高尾にて台湾加油!震災チャリティーコンサート。

1999年、韓国ソウルで行われた「東アジアにおける平和のための宗教と文化フォーラム」にて公演。同国における日本語での公演解禁の第一号となった。


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