この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "喜多川2tom"
きたがわ つとむ
喜多川 2tom
本名喜多川 務
生年月日 (1957-12-21) 1957年12月21日(66歳)
出生地 日本・山口県下松市
身長161 cm
ジャンルスタントマン、俳優
主な作品
スーパー戦隊シリーズ
ゴジラシリーズ
テンプレートを表示
喜多川 2tom(きたがわ つとむ[出典 1]、(1957年〈昭和32年〉[出典 2]12月21日[出典 3] - )は、日本の俳優、スタントマンである。本名は喜多川 務(読み同じ)[9][4]。ジャパンアクションエンタープライズ所属[出典 4]。山口県[出典 5]下松市出身[出典 6][注釈 1]。特技は中国武術[6]。妻は『バトルフィーバーJ』(1979年)で中盤以降ミスアメリカのスーツアクトレスを演じた小野寺えい子[出典 7]。 身長161センチメートルの小柄なスタントマン。山口県桜ケ丘高校時代は体操選手で、インターハイの出場経験があり[11][10]、俊敏でアクロバティックな動きを得意としている。 ウルトラマンになることを目指し、スタントマンの道に進む[6][8]。高校の体操顧問が千葉真一の先輩であったことから、顧問の紹介でジャパンアクションクラブに6期生として入門[8]。入門当時は小柄な体型であることからヒーロー役は無理と言われ、戦闘員や女性の吹き替えスタントをメインとしていた[8]。 スーツアクターとしてスーパー戦隊シリーズに参加し、大葉健二や春田純一の代役、後楽園ゆうえんちでのショーを経て、『超電子バイオマン』(1984年)のブルースリー役で本格的に持ち役を抱えて以降、多くのヒーローを演じてきた[8][3]。顔出しでの出演も多い[2]。 『光戦隊マスクマン』(1987年)で自身が担当したブルーマスクの変身前を演じた広田一成からは、中国拳法の手ほどきを受けた[14][3]。その後も中国拳法のトレーニングを続け、『五星戦隊ダイレンジャー』(1993年)ではシシレンジャーのスーツアクターとして広田直伝の中国拳法を見せている[3]。『獣拳戦隊ゲキレンジャー』(2007年)ではそれを生かし、中国拳法指導として参加している[3]。 『モスラ3 キングギドラ来襲』(1998年)ではキングギドラを演じ、そのアクションが評価されたことから『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)以降のゴジラを演じた[出典 8]ほか、『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)ではスーツアクションアドバイザーを兼務した[7][15]。後年は、ゴジラ役のスーツアクターとして中島春雄や薩摩剣八郎らとともにアメリカのイベントに出演することが多い[3]。 1985年に『バトルフィーバーJ』で共演した小野寺えい子と結婚[4]。 黄色のインナースーツを好んで着用するが、これは特技を生かし、ブルース・リーのものまねでCMに出演していた影響であるという。 大葉や春田の代役としての出演は、当時両者の撮影時間の都合によるもの。「機械と野生の対照的な両者の動きで自分が出来上がった」と語る。自身の持ち役の低姿勢の構えは、大葉健二のバトルケニアの影響を受けている。『大戦隊ゴーグルファイブ』(1982年)の5人同時で飛び降りるブラックは喜多川が演じている[16]。 初めてヒーロー役のレギュラーを演じたのは『バトルフィーバーJ』のミスアメリカ役で[3]、小牧りさに代わりトランポリンなどのスタントを務めた[4]。喜多川が演じる場合は厚めのタイツを着用している[4]。喜多川は、それまでも女優のスタンドインを務めたこともあるためヒロイン役を演じることに恥ずかしさは感じなかったが、バトルケニアの代役も兼任していたためミスアメリカはあまり演じたくなかったと述べている[4]。
人物
エピソード