善峯寺
山門
所在地京都府京都市西京区大原野小塩町1372
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度56分17.4秒 東経135度38分39.1秒 / 北緯34.938167度 東経135.644194度 / 34.938167; 135.644194
善峯寺(よしみねでら)は、京都市西京区にある善峰観音宗の本山の寺院。山号は西山。本尊は十一面千手観世音菩薩 2躯。西国三十三所第20番札所。桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街や比叡山を一望できる。
本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか
ご詠歌:野をもすぎ山路(やまじ)にむかふ雨の空 よしみねよりも晴るる夕立
歴史が自作の千手観音像を本尊として創建したという。その後、長元7年(1034年)には後一条天皇により勅願所に定められ、「良峯寺」の寺号を賜った。
長久3年(1042年)、後朱雀天皇の命で洛東鷲尾寺にあった仁弘法師作の千手観音像を当寺に遷して新たな本尊としている。また、白河天皇より本堂、阿弥陀堂、薬師堂、地蔵堂、三重塔、鐘楼、二王門、鎮守七社の堂社を寄進されている。
鎌倉時代初期の建久3年(1192年)には、慈円が住したこともあり、後鳥羽天皇直筆の寺額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められた。青蓮院から多くの法親王が入山したため「西山門跡」と呼ばれ、室町時代には僧坊の数は52を数えていた。
だが、応仁の乱に巻き込まれて伽藍の大半が焼失した。江戸時代になってから江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が大檀那となって、現存する観音堂・鐘楼・護摩堂・薬師堂・経堂・鎮守社などが再建されて復興を遂げた。
境内の北側には隣接して三鈷寺がある。
境内多宝塔(重要文化財)
境内は京都市域の西南端近く、釈迦岳(標高630.8m)の北東の支峰の善峯に位置し、山腹一帯に多くの堂宇が点在する。バス停留所から山道を、また駐車場から数分上ったところに山門が聳え、石段を上がった正面に本堂(標高305m辺り)があり、その左手(南)に文殊寺宝館がある。本堂右手の石段を上った一画には多宝塔などがある。そこから上ったところに釈迦堂、その上に阿弥陀堂があり、境内のもっとも奥には薬師堂、青蓮院宮墓地などがある。諸堂宇の大部分は江戸時代、桂昌院の援助で整備されたものである。
本堂(観音堂) - 元禄5年(1692年)桂昌院による建立。納経所。
納札所 - 元禄4年(1691年)桂昌院による建立。
大師堂
弘法大師像
休憩所 - 西国三十三所観音霊場のそれぞれの札所の本尊を模した33体の観音像を祀る。
寺宝館文殊堂 - 2000年(平成12年)建立。文化財の収蔵庫。
鐘楼 - 貞享3年(1686年)桂昌院による建立。梵鐘は徳川綱吉の厄年に寄進さたことから厄除けの鐘といわれる。
護摩堂 - 元禄5年(1692年)桂昌院による建立。本尊は五大明王。
遊龍の松(国指定天然記念物) - 全長37m。安政4年(1857年)前右大臣花山院家厚により「遊龍」と命名。樹齢600年以上。標石は、1893年(明治26年)陸軍中将鳥尾小弥太筆。
多宝塔(重要文化財) - 元和7年(1621年)に賢弘により再建。山内最古の建物。本尊は愛染明王。