商品先物取引
[Wikipedia|▼Menu]

商品先物取引(しょうひんさきものとりひき)は、農産物鉱工業材料等の商品を将来の一定日時に一定の価格で売買することを現時点で約束する取引であり、先物取引(Futures)の一種である。
歴史

保険つなぎとして、株式の信用取引の空売りと同様の米切手の空売りとしての「つめかえし」が存在したが、帳合米取引(=事実上の先物取引)に発展し、途中、幕府による規制など諸々の苦難を乗り越え、1730年には江戸幕府が、大坂堂島米会所に対し米の先物取引(帳合米取引)を許可したのが、先渡し契約の無い近代的な公認の商品先物取引の始まりである。当時は現物の米の代わりとして売買契約数を記した書付けを帳合米取引の会所に持ち合って交換し、期日に突き合せて決済していた。現在でも先物取引の契約単位を「枚」と呼ぶなどその名残が残っている。これ以前にも、1568年に開設されたロンドンイギリス)の取引所や1531年に開設されたアントウェルペンベルギー)の取引所があったが、これらの取引所で行われていたのはあくまで現物取引先渡取引である。詳細は「堂島米会所」を参照

しかし、統制経済の強化と共に、各種商品の価格が公定され、その配給過程が統制されるに従って、商品取引所の存在意義は失われ、全国に19カ所あった米穀取引所は(米の先物取引は第二次世界大戦に伴う米流通の統制に伴い)1939年廃止され、21ヶ所の正米市場も閉鎖され、国策会社である日本米穀株式会社に統合された。他の商品取引所も徐々に姿を消し、1943年の横浜取引所(生糸市場)廃止をもって戦前の商品取引所の歴史に終止符を打たれた。

取引所法(明治26年3月4日法律第5号公布)は、証券取引と商品取引を規制していたが、戦時統制により商品取引が閉鎖され、証券取引のみとなったため昭和16年末に同法の所管が商工省から大蔵省に移管された。この結果、商品取引所再開のための法案整備は大蔵省が窓口となり、昭和25年1月大蔵省理財局に臨時に商品取引調査室が設けられ改正法案の立案に入ったが、2月27日の閣議決定で、商品取引所法の所管が物資所管省である農林省通商産業省に移されたため、法案作成事務は通商産業省商企業局に新設された商務課が担当することとなり、新商品取引所法制定体制が整い、商品取引所再開が軌道に乗ることとなった。

取引所法は明治26年に公布され、証券と商品の規範となって、終戦後の昭和22年3月の証券取引法公布まで形式的に存続していた。そして、昭和22年3月に証券取引法が制定、部分的に公布され、昭和23年4月全面的に改正、公布される。この改正の付則第3条によって旧取引法はその上に「商品」を冠して「商品取引所法」と改称された。しかし、この商品取引所法は、内容も旧取引所法と全く異なることがなかったし、当時は全商品が統制下におかれていたため、有名無実のものとなっていた。また、この商品取引所法では実情に即さない点が多いため、昭和25年初めから農水・通産両省において新法案の準備が開始された。

終戦後、株式の方では、証券取引法に基づく証券取引所開設の際に証券業界で清算取引の再開を求めていたが、ハーグ陸戦条約の条約附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」の第43条との整合性は不明瞭であり、証券取引所開設の条件を出した側であるアメリカ国内でも後年には個別株の先物取引が開始され矛盾しているが、GHQにより清算取引の禁止を求められたため(取引所再開に関する三原則)、1987年(昭和62年)に株先50が大阪証券取引所に上場されるまで、個々の株式銘柄と株価指数の違いはあるが株式関係の先物取引の再開まで長年を要した。

しかし、商品取引所法に関しては、GHQから清算取引(現行法でいう先物取引)が禁止されていなかった。そのため、証券取引所においては、戦前の精算取引が認められなかったが、商品取引所法では認められた。そのため、戦後の商品取引所においては、戦前の長期格付精算取引と称せられるものと同一の取引方法が採用された。

終戦後の商品取引所法(昭和二十五年八月五日法律第二百三十九号)の公布を受け、1950年大阪化学繊維取引所(現在の中部大阪商品取引所)を皮切りに商品先物取引が再開された。

昭和25年公布の新しい商品取引所法は、全国各地で各産業界による商品取引所設立の運動に大きなはずみをつけた。当時は、商品取引所設立の動きが活発化したが、近年は、取引の東京集中が進む中、地方所在の取引所は経済的な役割を終え、次々と淘汰され、2023年時点では東京の東京商品取引所と大阪の堂島取引所の計2取引所となっている。
商品取引員詳細は「商品取引員」を参照

日本において商品先物取引に参加する場合、商品取引所の会員(株式会社形式の取引所の場合は取引参加者)となるか、取引を媒介する商品取引員の受託を受ける必要がある。日本独自の制度ともいえる商品取引員だが、その営業形態に起因する勧誘にまつわるトラブルが以前は多数報告された。現在は法改正により相当に改善されている(後述)が、これが一般大衆に「商品先物取引は危険」との認識を抱かせる一因となったとされる。

商品先物取引を受託する商品取引員は、商法上の問屋であり(商法第551条)、委託者との間には、委任に関する規定が準用されるから(同法第552条2項)、商品取引員は、委託者に対し、委託の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって、誠実かつ公正に、その業務を遂行する義務を負う(民法第644条)[1]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:94 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef