イギリス
商務庁長官
国王陛下の政府紋章
現職者
ケミ・ベイドノック
商務庁長官[注釈 1](しょうむちょうちょうかん、英語: President of the Board of Trade)は、イギリス枢密院の委員会である商務庁の長。商務庁は17世紀に臨時の調査委員会として創設されたが、やがて多くの機能を有する行政組織に発展していった[7]。 商務庁と似た部門がはじめて創設されたのは1655年のことであり、オリバー・クロムウェルはこの年に息子リチャード・クロムウェルを枢密院、裁判官、商人で構成される、貿易促進をはかるための委員会の会長に任命した。その後、イングランド王チャールズ2世は1660年11月7日に商務委員会を、12月1日に拓殖委員会を創設、続いて1672年9月16日に2委員会を商務・拓殖庁(Board of Trade and Plantations)に合併した。 1696年に商務庁が再び創設されたとき、委員数は15名(後に16名に変更)であり、うち7名(後に8名に変更)が国務大官で、それ以外の8名が実際に業務に取り組む委員だった。実際に業務に取り組む委員8名のうち1人が委員会の長官とされ、一般的には第一商務卿(First Lord of Trade)として知られる。商務庁は1782年7月11日に一旦廃止されたが、1784年3月5日には枢密院で同様の目的を有する委員会が創設され、1786年8月23日にはそれまでの商務庁よりも商務に集中して取り組む委員会が創設された。創設直後の内閣では商務庁長官を閣僚とするものと、閣僚としないものが混在したが、19世紀初期以降は閣僚とすることが定着した。 名前画像就任離任
歴史
商務庁長官の一覧
第一商務卿(First Lord of Trade、1672年 ? 1782年)
シャフツベリ伯爵1672年9月16日1676年
ブリッジウォーター伯爵1695年12月16日1699年6月9日
スタンフォード伯爵1699年6月9日1702年6月19日[8]
ウェイマス子爵
スタンフォード伯爵1705年1711年6月12日
ウィンチルシー伯爵1711年6月12日1713年9月15日
ギルフォード男爵1713年9月15日1714年9月
ストラットンのバークリー男爵1714年9月1715年5月12日
サフォーク伯爵1715年5月12日1718年1月31日
ホルダーネス伯爵1718年1月31日1719年5月11日
ウェストモーランド伯爵1719年5月11日1735年5月
フィッツウォルター伯爵1735年5月1737年6月
モンソン男爵1737年6月1748年11月1日
ハリファックス伯爵1748年11月1日1761年3月21日
サンズ男爵1761年3月21日1763年3月1日
チャールズ・タウンゼンド1763年3月1日1763年4月20日
シェルバーン伯爵1763年4月20日1763年9月9日
ヒルズバラ伯爵1763年9月9日1765年7月20日
ダートマス伯爵1765年7月20日1766年8月16日