商人
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16世紀ブラバントアントワープの商人の服装(Abraham de Bruyn, 1577年)

商人(しょうにん、しょうひと、あきびと、あきんど、あきゅうど)

しょうにん。商売を職業としている者。本稿で後述。

現代と区別して、商売を行っていた歴史上の職業を扱う。商売を商い(あきない)ともいうことから「あきんど」と読むこともあるが、くだけた読みであり、公式の場では用いない。


しょうにん。商法学における基本概念の一つ。商人 (商法)を参照。

しょうひと。中国の古代王朝の一つである商()の国民若しくは出身者、又は彼らの子孫。中国で最も早くから、ある場所で安価で購入した物資をその物資に乏しい別の場所で高価で売却して差益を稼ぐことを生業とする者が現れた民族といわれており、上述した「しょうにん」の語源となったと言われているが、これは俗説である。言語学的には、商売の「商」は「当」(相当する)からの派生語と考えられている[1]

比喩或いは皮肉として、戦争において売買を行う人物、がめつい人物を「商人」と評することがある[誰?]。

概要.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "商人" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2009年11月)

商人(しょうにん)とは、第1次第2次産業の生産者と需要者の間に立って商品を売買し、利益を得ることを目的とする事業者(第3次産業)を指す。主に顧客間の仲介を専門とする卸売商・小売商のような商品売買業者を指すが、このほかに運送業倉庫業金融業保険業広告業など商品を取り扱わない形態を含めて広く考える立場もある。

コーリン・クラークの産業分野の区分では、農業・工業以外に従事する業種とされた。これが第3次産業である。
概説

「商人」は、日本語であり、対訳語とされる英語の「Merchant」にそのような概念はないが、近代以前に活躍した商店主を指す。この使い分けは、江戸時代までの商人と明治維新後の実業家の経営形態が大きく異なるために発生すると考えられる。しかし海外まで含めるとどこまでが商人で、どこからが「実業家」や「経営者」なのかは、線引きがなく、習慣的と指摘できる。

西洋との文化的差異の一例として、家紋、つまり世襲制の紋章が挙げられる。西洋の紋章の場合、騎士身分という特定の身分に限定され、庶民の使用を禁止していたのに対し、日本では庶民の使用は禁じられておらず、商家の暖簾や商標にも用いられている[2]。単なるロゴの場合、一族による世襲制ではないことから、文化的な違いと言える。中世ヨーロッパ商人の中には、貴族化する例が生まれるが(後述書)、こうした巨万の富を得た商人は次第に事業の失敗を恐れ、土地に投資し、自ら土地貴族となり、古い貴族の生活を模倣し、城を建て、娘を貴族に嫁がせ、貴族の称号と紋章を手に入れた(兼岩正夫 『封建制社会 新書西洋史3』 講談社現代新書 1973年 p.97)。すなわち、西洋では貴族化しなければ、世襲制の紋章を手に入れられなかった。

日本語における「あきひと・あきうど・あきんど」の「あき」とは、「」と同源であり[3]、その時期に成熟した穀物を交易することに由来する(前書 p.215)。従って、訓読み=日本語の意味で表記した場合、「秋人」であり、漢字表記における語源(商国由来)とは異なる。この「あきひと」という語自体は、『古今和歌集仮名序』(10世紀初頭成立)に、「商人(あきひと)のよき衣(きぬ)着たらむがごとし」とあり、平安時代前期から見られる言葉である(武田祐吉 久松潜一編 『角川古語辞典 改訂版』 角川書店 改訂148版1971年 p.16)。10世紀中頃の『和名類聚抄』巻二の商人の項目においても、和名を「阿岐比止(あきひと)」とすると記述が見られる。
歴史
起源

通俗的に商業は、人類の文明が発展する途上、狩猟農耕手工業の次に余剰生産物を交換して利益を得る形態として発展したと考えられている。ただしその起源までさかのぼることは、記録がないため難しく、どの時代に最初の商業が成立したのかは、推察の域を出ない。形態として物々交換から始まり、やがて媒介物を用いる貨幣経済に発展した。

取引を専門に行う者が現れる以前、交易は、共同体首長に属する者や共同体全体で行った。交易の専門家が現れると共同体の外部と取引を行う者と共同体の内部で取引を行う者は、区別された。交易者の動機は、義務や公共への奉仕である身分動機と利得のために行われる利潤動機に分かれていた。身分動機の交易者は、共同体から与えられた特権や義務を有し、世襲や同業者組合(ギルド)によって生活を保証された。これは、共同体内の産業を保護するためであったり、専売制により税収を得るなどの目的があった。

共同体全体で交易を継続して行う場合もあり、かつての海路や水路を用いたフェニキア人ヴァイキングプトゥン人、砂漠のベドウィントゥアレグハウサ人、宗教を背景に持つユダヤ人アルメニア人などが含まれる[4]
古代(紀元前 - 8世紀)

メソポタミアシュメールバビロニアには、身分動機の交易者であるタムカルムがおり、王により設定された財を交易した。シュメール文字による商取引による記録(4350年前の粘土板)も残っており、この発明(文字と粘土板による記録)によって、取引や交換の管理が容易となった[注釈 1]古代ギリシアでは、ポリス外で取引する者をエンポロス、ポリス内で取引をする者をカペーロスと呼び、利潤動機の交易者としてメトイコイと呼ばれる自由身分の外国人が存在し、メトイコイの多くはエンポロスとして働いた。対外交易が行われる場には両替商がいた[6]

中国においては、前漢に塩の専売制が布かれ国の重要な収入となった。また塩鉄論が起こり、も専売制が布かれた。古代エジプトでは、パピルスの専売制が布かれ、製造方法も秘密とされた。これがもとで羊皮紙が作られるようになったと言われている。

それまで私的な事情とされ、見逃され続けて来た性行為そのものを商品として扱う売春行為に踏み込んだ国家も登場する。古代ローマ帝国では、健全な国民生活を目指し、アウグストゥスによって姦通罪やユリウス正式婚姻法が発せられ、売春や婚外交渉を禁止した。

この時期、ユーラシア大陸の西端に隆盛したローマ帝国と東端に興った・漢帝国の交易は、後代に渡って莫大な利益を生み、北方の「草原の道」、大陸内陸部の「オアシスの道」、大航海時代の「海の道」をシルクロードと呼んだ。ただし、それ以前からスキタイ匈奴突厥などの遊牧民族が東西の文化交流、交易で活躍したと考えられる。ソグド人は、アケメネス朝の記録に初めて名前が記され、中央アジアの遊牧民族国家として中国の唐代まで商胡と呼ばれ、シルクロードで活躍し、ソグド語がシルクロードの共通語ともされるほど栄えた。

経済圏の拡大により、物々交換に代わって通貨が使用されるようになるが、それでも大量の貨幣を持ち運ぶのが支障になるため、古代エジプトカルタゴは、パピルスや革を利用した一種の紙幣を交易に利用したが、ローマ帝国によって断絶した。
中世(8世紀 - 11世紀)

ローマ帝国に代わったイスラム帝国の拡大によってイスラム法(シャリーア)のもとで商慣習が統一され、アッバース朝成立後の8世紀以降は地中海西アジアインド洋で商業が急激に発達した。


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