中華人民共和国 河北省 唐山市
唐山抗震記念碑唐山抗震記念碑
河北省中の唐山市の位置河北省中の唐山市の位置
中心座標 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度36分0秒 東経118度10分0秒 / 北緯39.60000度 東経118.16667度 / 39.60000; 118.16667
唐山市(とうざん-し/タンシャン-し、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Tangsh?n)は中華人民共和国河北省に位置する地級市。
栗などの果樹生産が盛んなほか、古くから陶磁器生産を行い、中国の近代産業の発祥の地の一つとなって以来100年以上の歴史を持つ鉱工業都市・港湾都市である。1976年の唐山地震では壊滅的な被害を出しているが、その後の復興および改革開放政策の下に中国における重要な産業・港湾都市となっている。 唐山市は環渤海の中心に位置し、南は渤海湾に面して北京と共同で建設した京唐港
地理
地理的範囲は南北160キロメートル、東西120キロメートルに及び、面積は13,472平方キロメートルであり、これは紀伊半島に相当する面積である。秦皇島市との間には?河(らんが)が流れる。
唐山市は河北省最大の重工業都市であり、中国近代工業発祥の地の一つで、中国における機械化炭田、広軌鉄道敷設、蒸気機関車製造、セメント製造、近代製陶業の発祥地であり「中国近代工業の揺籃地」および「北方の陶都」と称されている。
歴史開平鉱務局の唐山炭鉱唐山地震の震災遺構(華北理工大学内)
唐山市の地域には4万年前から人類が棲息していた遺跡があり、殷周時代は北方の侯国孤竹国(弧竹国)の首府であり、この国の王子たちで周の文王への義に殉じた伯夷・叔斉の兄弟の逸話は有名である。戦国時代には燕国の領土となり、漢時代には幽州となり、南北朝時代には右北平郡や遼西郡に編入された。隋・唐の時代には高句麗への前哨基地や遠征基地となっている。明の時代には、すでに鉄鉱石の精錬、石炭の採掘、陶磁器生産の中心地として今日の基礎を築いていた。清時代には直隷省永平府と遵化直隷州となっていた。
1876年、洋務運動を進めていた清朝政府は、開平鎮(現在の開平区)に半官半民の企業(官督商弁企業)である「開平鉱務局」を置いて炭鉱を開き、そのための都市として喬屯鎮を置いた。さらに1881年には中国が自力で建設した最初の標準軌鉄道である唐胥鉄道(開平?胥各荘、現在の豊南区)を敷設し、これは後に延伸され津楡鉄道(天津?臨楡)へとなった。また中国最初の蒸気機関車工場、セメント工場、衛生陶器工場なども開設され中国の近代産業の発祥の地となった。1899年には喬屯鎮は街の北側にある唐山(今は公園になっている大城山の旧称)にちなんで唐山鎮と改称し?州(らんしゅう、現在の?州市)の管轄下になり、1938年に市制施行され唐山市となった。