??
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(JIS X 0212-1990およびJIS X 0213:2004に該当)が含まれています(詳細)。シンガポールテーマパークハウパーヴィラにある??太子(右)が孫悟空と戦う『西遊記』の一場面再現ジオラマ

??(なた)は、道教で崇められている護法、もしくは仏教や中国の民話・説話の登場人物である。

托塔天王(毘沙門天が原型)の三男である事から??太子(なたたいし)、あるいは??三太子(なたさんたいし)[1]とも呼ばれる。道教の信仰対象としては太子爺(たいしや)、太子元帥(たいしげんすい)、羅車太子(らしゃたいし)、中壇元帥(ちゅうだんげんすい)、??天王や??天尊などとも呼ばれ、いくつもの尊称がある。

の花や葉の形の衣服を身に着け、乾坤圏(金色の円環みたいな投擲の武器)や混天綾(奇妙な仙力を秘めたシルク、河じりで少しだけ揺らしても繋がってる大海が強烈に震撼される。敵を縛ることもできる)、火尖槍(紫色の火や煙を放せる焔形の槍)などの武器を持ち、風火二輪(二個の車輪の形をした乗り物。火と風を放ちながら空を飛ぶ)に乗って戦う姿は『封神演義』などの書物や民間神話でなじみ深く、道教寺院でもこのような姿で表される。太子元帥寶像
名前

表記と発音は中国語: ??; ?音: Nezh?; 粤?: naa4 zaa1; 白話字: Lo-chhiaとなり仏教説話では那?とするものも見られる。

いずれも「ナタ」と読み、ウィキペディア日本語版や『ナタちゃんの竜たいじ』[2](上海美術電影アニメを本にしたもの)ではこの発音を採用する。なお、ピン音の日本語表記はナァーヂャが近く、上海美術電影作品のアニメーション映画『ナーザの大暴れ[3]、『読む中国語世界 2008年 10月号』[4]では『ナーザの大暴れ』とナーザという表記もみられる。

安能務の『封神演義』では読み仮名を「ナタク」としているがこれは安能版だけの事である。ただし安能版および、その派生作品である藤崎竜の漫画版『封神演義』の認知度が高いため、これに準じ「ナタク」と読まれるケースも珍しくない。
主要な文献とその漢字表記

文献表記
封神演義??
西遊記??
西遊記雑劇那?
毘沙門儀軌[5]那?
尊容鈔那?
三教源流捜神大全那?

なお「?」(口へんに託の右側:U+5412)の文字はJIS X 0208およびJIS X 0212(JIS 補助漢字)に含まれていないが、JIS X 0213には含まれており1-14-85の符号位置が与えられている。
由来

インド神話ナラクーバラを前身とする、彼は財宝神クベーラの息子である。

クベーラが毘沙門天として仏教に取り入れられると、息子(三男とされる)のナラクーバラもその陪神として取り入れられ、那?三太子の名で信仰の対象となった。中国の晋代くらいの頃に中国での記載が始まったと見られます、物語や神格がもうナラクーバラとは完全に違うとも言える。

中国に於ける毘沙門天(中国では多聞天王)信仰が高まると、毘沙門天は代初期の武将李靖と同一視され、道教でも托塔李天王の名で崇められる様になった。それに伴い那?太子も道教に取り入れられた。

宋以後に毘沙門天信仰が衰退すると、仏教では那?は忘れ去られてしまった。しかし、道教では民間説話に取り入れられて人気があったために忘れられず、次第にインドの神である事は忘れられ道教の神の一柱に収まった。毘沙門天と同一視された托塔天王も毘沙門天やほかの天王を率いる別格的な天王になった場合がかなりある。

父母、兄弟などは説話により異なっており、説話の発展を示している。
主な物語における??
仏説最上秘密那拏天經

体は須弥山ほど大きい、その顔に憤怒と笑いを両方持つ千臂の巨神である。(「景徳伝灯録」では天地を支えると言われていた。)虎の皮を着て色んな法器を持っている。世尊(釈迦如来)と深く関わりもある。

阿修羅や夜叉、大梵天王、那羅延天、大自在天(ブラフマーヴィシュヌシヴァが仏教における姿)、天竜衆もさえ自分に帰従させた。
三教源流搜神大全

彼はかつて玉皇の座下にいる「大羅仙」(大羅天の仙人、仙人の最高位とも言われる)であった、身長は六丈、首には金輪やらを着けており、三頭九眼八臂の存在である。手に法律あり、一声で雨と雲は従い、乾坤さえも動きだす。地上に多くの魔王がいた時、玉皇に使命を与えられた彼は、托塔李天王と素知夫人の三人目の子供、金?、木?の後の??として受胎した。

??は生まれた5日後に東海で水浴びし、そのまま東の海を滑る東海龍王の領域に踏み込み、宮殿を壊し塔を踏みつける等の乱暴を行った。

龍王はこれに怒って??と争ったが止める事は出来ず、七日間戦った結果九匹の龍が殺された。

東海龍王はこのことを玉皇に知らせ彼も悲しんだ。これを知った??は天界の門にまで行き、今度は龍王その人を殺してしまった。

不意に天帝の壇に登った彼は今度は如来の弓をひき、放った矢で石記娘々の子供を射殺してしまう。彼女は兵を率いて??に対抗しようとしたが、今度は父の壇から降魔杵を持ち出し西に赴いて彼女も殺した。

李天王は魔物達の首領の一人でもある石記娘々を殺した事で、他の魔物達が襲ってくると息子を叱りつけた。

??は自身の肉を割り、骨を刻んで父親に還した。魂となった彼は世尊(ブッダ、釈迦如来)の側に赴いた。仏は彼の降魔(魔物退治)の力を見込んで蓮を折って骨とし、藕(蓮根)を肉とし、糸を筋とし、葉っぱを衣として組み立て新生させ、法輪密旨(仏法の秘奥)を授けた。

また、??は「木長子」の三文字を受けた。これにより体のサイズを自在に変化させ、河を通り海に入り、星々にまで駆けめぐることが出来るようになった。

一声叫べば天はくずれ地は倒れ、一息に吹きかければ金色の光が世界を覆い、磚が響けば龍は従順になり虎が服従する。

槍の一撥ねで宇宙乾坤をひるがえり、投げられた?球が弾めるだけで山は崩れ海は裂ける。

こうした強大な力を持つ故、??は牛魔王、獅子魔王、大象魔王、馬頭魔王、?世界魔王、鬼子母魔王(鬼子母神)、九頭魔王、貪多利魔王、番天魔王、五百夜叉、七十二火鴉といった魔物達を降伏させ、赤猴(赤猿の妖怪、元劇の西遊記で孫悟空を負かしたことを指してる可能性が高い)と戦い、?龍(魔竜)も降伏させた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:35 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef