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哈日族
逢甲大学体育館での同人誌即売会に集まった哈日族
各種表記
繁体字:哈日族
簡体字:哈日族
?音:H?rizu
注音符号:?? ?? ???
発音:ハーリーズー
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哈日族(ハーリーズー)は、日本の現代大衆文化を好む中華圏(中国本土、香港、台湾)の若年層の総称である。 わかり易く言うと、中華圏の「日本オタク」。 主に日本のアニメや服装、J-POP(特にジャニーズ系など)、電化製品など、日本の流行文化に関心がある若い世代を指す。台湾で使われ出した語句であるが、近年では香港をはじめ、中国やマカオなど、その他の中国語圏でも通用するようになった。また、親日派という単語の代わりに「日本に対して好意を持つ人」を意味する語句としても使用されている。現在「哈日」の持つ範囲は、日本の流行文化や服装に止まらず、日本の伝統文化も含むようになった。またある人が、日本のある物事に夢中になると「很哈日(とってもハーリーだね)」と呼ばれる。 台湾での「哈日族」は、日本統治時代に日本語教育を受けた親日的な高齢世代の本省人ではなく、主に若者を指す言葉として用いる。 台湾における日本文化の流入について『新新聞
概要
「哈日族」は、台湾の漫画家哈日杏子の造語であり、その著書により広まった。「哈」という言葉は元々英語の「Hot」で台湾語に「哈」(ハー)に変換し、「ある物事に感情を持つほど求める、好きでたまらない」の意味をつけたことから来ており、哈日杏子は「いわゆる『哈日症』(日本好きの病気) とは食事は必ず日本料理、見るのは日本のドラマ、日本の映画、日本の本、聴くのは日本語と日本の歌、使うものは日本製、話すのは日本語または日本に関係すること、ぶらつくのは日系のデパート、いつも完全な日本的な世界に浸っている。そうでないと、とてもつらい」と述べている[1]。 台湾はかつて、日本の統治下にあったため、台湾では日本の文化は大きな影響力を持った。「日本統治時代の台湾」も参照 戦後国民党政府は戒厳令を敷いた統治の中で、日本のテレビドラマや映画の上映を規制したが、書籍や漫画などは脈々と中華民国の青少年に影響を与えていた。下記のギャラリーは、1951年に毎日新聞社の記者が撮影した戦後まもなくの台北市の写真であるが、国民党政府の規制にもかかわらず、日本色がかなり色濃く残っていた。 1980年代の台湾は、日本の文化が台湾政府によって規制されており、日本のテレビ番組を放送したり、流行歌を販売することは禁止されていたが、非合法な形で日本の文化は流通しており、相撲、プロレス、NHK紅白歌合戦などの日本番組のビデオテープは、あちこちのレンタルビデオ店で取り扱われていた[2]。1982年から日本の音楽テープを取り扱う専門店も現れ、日本のアイドルのポスターや写真も広く流通した[3]。台湾では1980年代始めから、非合法なケーブルテレビが普及しており、当時のケーブルテレビで放送されていた番組の製作国を見ると、日本46%、欧米27%、香港16%、台湾11%であり、初期のケーブルテレビでは、日本の番組は極めて高い比重を占めていた[4]。1992年から香港のスターが日本のトレンディドラマを放送して人気を得ると、視聴率の低下に危機感を感じた地上波テレビは日本番組の放送解禁を求め、1994年の始めに解禁された[4]。地上波テレビはドラマを中心に日本番組を放送したが、1994年に放送されたおしんはドラマ部門視聴率の新記録となるなど高い人気を得た[4]。1993年7月にソニーが台湾の音楽市場に参入し、多数の日本の芸能人も台湾を訪れるようになった[4]。 戒厳令解除後李登輝による民主化の流れの中で、1988年にパラボラアンテナの設置が解禁され[5]、NHK衛星放送の受信を初めとして日本の映画やテレビドラマが解放されると、「哈日族」になることはいっそう容易になった。 哈日族の聖地西門町で、日本で流行している服やアクセサリー、携帯のストラップなどを大量に購入し、また日本の流行雑誌を参考し、日本人の化粧の仕方を勉強する。これとは別にもっと深くこだわる哈日族は「知日派」と呼ばれる。 知日派の日本語能力は大方高く、日本の文化や精神など高いレベルの部分から日本を参考にする。たとえば定期的に日本に旅行に行き温泉につかったり、日本の書籍や新聞・雑誌を読んだりして、日本の政治や経済を進んで勉強する。 哈美族(ハーメイズー)という哈日族から派生した語句もある。中国語文化圏におけるアメリカニゼーションである(アメリカは中国語で美国)。 1999年の夏、ハローキティが台湾で大流行し、台湾マクドナルド店で「ハローキティ騒動」が勃発した[1]。台湾のマクドナルド各店では、販売促進のため、ハローキティ人形を、1ヶ月で計4タイプ、マックセット
歴史
居酒屋。「寿司」「関東煮(おでん)」といった日本語の暖簾がかけられていた。
横丁。「大上海公共食堂」といった中国らしい名称の食堂の看板があるが、そこには「天婦羅」「丼物」「刺身」などの日本語のメニューが記されていた。
繁華街。映画館の看板に「青色山脈(青い山脈)」が掲げられ、日本映画が上映されていた。
本屋。雑誌の中に「ロマンス」や「トルー・ストーリィ」といった日本語の雑誌がある。
実態