哀しみのマンディ
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「哀しみのマンディ」
バリー・マニロウシングル
初出アルバム『バリー・マニロウII』
B面Something's Comin' Up
リリース1974年10月7日
規格7インチレコード
録音1974年
ジャンルポップ
レーベルベル・レコード
作詞・作曲スコット・イングリッシュ
リチャード・カー
バリー・マニロウ シングル 年表

Could It Be Magic
(1973年)哀しみの
マンディ
(1974年)愛は奇蹟のように
(1975年)


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「哀しみのマンディ」
ウエストライフシングル
初出アルバム『ターンアラウンド』
A面哀しみのマンディ (Mandy)
B面You See Friends (I See Lovers)
Greased Lightning
リリース2003年11月17日
規格12センチシングル
録音2003年
ジャンルポップ
レーベルソニーBMG
作詞・作曲スコット・イングリッシュ
リチャード・カー
プロデューススティーヴ・マック
ウエストライフ シングル 年表

ヘイ・ワットエバー
2003年)哀しみのマンディ
(2003年)オービアス
2004年


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「哀しみのマンディ」(かなしみのマンディ、Mandy)は、1974年にリリースされたバリー・マニロウの楽曲およびシングル
原曲

この曲は、元々は作曲家スコット・イングリッシュ(英語版)とリチャード・カー(英語版)が1971年に発表した「ブランディ」(Brandy)という楽曲であった。この時は全英シングルチャートで12位を記録したが、テンポの早かったこのバージョンはアメリカ合衆国では失敗した。1974年にバリー・マニロウによって「マンディ」の名でレコーディングされ、本作はマニロウの最初のBillboard Hot 100およびアダルト・コンテンポラリー(英語版)イージーリスニングチャート第1位獲得シングル、および初のゴールドシングルとなった。

スコット・イングリッシュが、気に入りの犬を題材にこの歌を書いたという説は、どうやら都市伝説のようである。イングリッシュが語るには、ある記者が朝早く訪れて「ブランディ」とは誰かと尋ねてきたため、腹を立てたイングリッシュが記者を追い払うために「犬」の話を作り上げたのだという[1]

1971年のイングリッシュによるレコーディングとマニロウのレコーディングの間に、バンド「ルッキング・グラス(英語版)」が「ブランディ」(Brandy (You're a Fine Girl))というヒットソングを発表した。そのため、マニロウがこの曲をレコーディングすることを決めた際、混同を避けるためにタイトルを「マンディ」に改めた。マニロウにこの曲をレコーディングするよう勧めたのはクライヴ・デイヴィスである[2]

マニロウは最初この曲をイングリッシュのオリジナルと似たアップテンポの「バブルガム・ポップ・チューン」でレコーディングしたが、彼とプロデューサーのロン・ダンテ(英語版)は完成した曲が気に入らなかったと伝えられている。そのため、彼はこの曲をバラード調で歌い、より満足のいく結果となった。この曲はマニロウ初のヒットシングルであり、またクライヴ・デイヴィスのアリスタ・レコード(当時はベル・レコード)レーベルからリリースされた作品として初めてBillboard Hot 100にチャートインしたヒット曲となった[3]
チャート 
週間チャート

チャート (1974?75年)最高位
オーストラリア (
Kent Music Report)[4][5]4
カナダ トップシングルス (RPM)[6]1


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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