和連
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和連(呉音:われん、漢音:かれん、?音:Helian、生没年不詳)は、後漢末期の鮮卑族の大人(部族長)。

光和年間[1]、先代の大人である父の檀石槐が没するとその跡を継いだが、才覚・力量は父に及ばなかった。性質は貪淫、裁きは不公平であり、配下の半数の離反を招いた。

霊帝の末年にしばしば侵略を働いたが、北地郡へ侵攻した時、の巧みな庶人から射撃され、即死した。子の騫曼は年少であったため、兄の子の魁頭が跡を継いだ。
出典

陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書 鮮卑伝注『魏書』 s:zh:三國志/卷30#鮮卑

脚注^ 范曄後漢書』鮮卑伝は檀石槐の没年を「光和中」とする。司馬光資治通鑑』は檀石槐の死、和連の死、さらにその跡を継いだ魁頭の死までを、光和4年(181年)の項に記述する。

先代
檀石槐鮮卑の大人
181年 - ?年次代
魁頭


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