和田竜二
2023年ジャパンCパドック
(騎乗馬:ディープボンド)
基本情報
国籍 日本
出身地滋賀県[1]
生年月日 (1977-06-23) 1977年6月23日(46歳)[1]
身長165cm[1]
体重50kg[1]
血液型O型[1]
騎手情報
所属団体JRA
所属厩舎栗東・岩元市三(1996.3.1 - 2010.4.7)
栗東・フリー(2010.4.8 -)[2]
初免許年1996年[1]
免許区分平地[3]
重賞勝利66勝(中央50勝、地方17勝)
G1級勝利11勝(中央8勝、地方3勝)
通算勝利21346戦1450勝(中央)
469戦90勝(地方)
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和田竜二
YouTube
チャンネル
和田竜二の引退競走馬を追う??
和田 竜二(わだ りゅうじ、1977年6月23日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の騎手、YouTuber。競馬学校花の12期生のひとり[4]。既婚者で1男2女の父[5]。Risy所属[6]。日本騎手クラブ副会長兼関西支部長。 父・和田守は厩務員で、松永善晴厩舎でトーヨーシアトルを担当し、その後河内洋厩舎でヤマニンキングリーなどを担当した[7]。兄・和田裕一も厩務員(坂口正大厩舎→牧田和弥厩舎所属)で、デュランダルなどを担当[8]。甥(姉の子)に、同じくJRA騎手の和田翼(旧姓:岩崎)がいる[8]。 1996年栗東・岩元市三厩舎所属騎手としてデビュー、3月16日エスティートップで初勝利[9]。同年12月にステイヤーズステークスをサージュウェルズで制し、花の12期生の中では最初に重賞を制覇する[10]などデビュー年は33勝を挙げ、関西の新人騎手賞にあたる中央競馬関西放送記者クラブ賞を獲得している[11]。 1999年の皐月賞をテイエムオペラオーで制しGI初制覇[12]、翌2000年にはテイエムオペラオーとのコンビで京都記念→阪神大賞典→天皇賞(春)→宝塚記念→京都大賞典→天皇賞(秋)→ジャパンカップ→有馬記念、と重賞を8連勝して前人未到の古馬GIグランドスラムを達成するなど活躍。この時期の勝利騎手インタビューでは、大声で「シャー」などと声を発するなどのパフォーマンスで一躍有名となった。有馬記念を勝ったときにはアントニオ猪木の決め台詞である「1、2、3、ダー!!」で締めた。同馬の全レースに和田は騎乗し、引退式では「オペラオーにはたくさんの物を貰ったが、あの馬には何も返せなかった。これからは一流の騎手になって、オペラオーに認められるようになりたい」と誓った。 2012年11月4日の京都競馬場第8競走、ラディアーレで通算勝ち星800勝を達成[13]。翌日に川崎競馬場で行われたJBCクラシックでは、ワンダーアキュートで2001年の天皇賞(春)以来11年ぶりとなるGI級競走で勝利をおさめた[14]。 2014年12月21日、阪神第8競走でエーシンヘディングに騎乗し、史上16人目のJRA通算13000回騎乗を達成した[15]。 2016年5月8日の京都競馬第6競走、ウェーブヒーローで中央競馬史上30人目の通算1000勝を達成[16]。 2018年6月24日の阪神第11競走、第59回宝塚記念でミッキーロケットに騎乗し勝利。17年ぶりのJRAGI勝利をおさめた[17]。JRAGIの連敗記録を120で止めた。 2019年、川崎記念でミツバに騎乗し勝利、同馬の初GI級勝利をエスコートした。 2022年3月26日、中山第10競走をデリカダで勝利、史上24人目、現役では11人目のJRA通算1400勝を達成した[18]。 2023年5月、日本騎手クラブ副会長・および関西支部長に就任(それまで同職に就いていた福永祐一の騎手引退による繰り上げ)[19]。 2023年12月3日阪神競馬場12Rの3歳上2勝クラスで、14番人気セイイーグル(?9、栗東・宮本博厩舎)に騎乗し史上6人目(現役5人目)のJRA通算21000回騎乗を達成した[20]。なお同レースで1着の藤岡佑介騎手が史上43人目・現役22人目のJRA通算1000勝を達成した[21]。 2024年5月13日京都7Rをディアドコスで勝ち、史上20人目、現役8人目となるJRA通算1500勝を達成[22]。記録に「4500勝の人がいたんで重なりたくはなかったんですけど」と同日記録達成の武豊を引き合いに出してコメントした[22]。
来歴
エピソード
競馬雑誌・週刊Gallopの騎手デジカメ日記のコーナーの担当のひとりとして、エッセイ記事を執筆していたことがある。
コスプレが好きで、イベントで女性もののかつらを付けて登場したり、着ぐるみを着て登場したり何かと笑いを取ろうとすることが多い。とくに京都競馬場で年2回行われる「ファンと騎手との集い」での必ず何かのコスプレをした姿で登場する光景はこのイベントの風物詩となっている。
2005年の「ファンと騎手との集い」では池添謙一と2人でJRA栗東の独身寮で早朝バズーカドッキリを行っている。さらに翌年の2006年は、前述の独身寮でターゲットになった藤岡佑介を加えた3人でホテルで寝ている武豊に早朝バズーカドッキリを決行したが、武豊は「まじめ、これ?」と不機嫌な声をあげ、怒らせてしまった。実は和田を標的とした逆ドッキリであり、和田以外(池添・藤岡・武に加え、柴原央明と福永祐一が別室でモニターしていた)全員仕掛け人である。武は「なんで俺やねん」と和田達3人を問い詰め、和田は早速「(福永)祐一がやる気マンマン」などとすぐに責任転嫁したが、結局自分たちによるものであると認めて謝罪することとなった。そうした中に部屋に突入した福永らによってネタばらしがなされ、和田は涙を流し、ドッキリは終了した。福永は「怒られてんねんけど、全然反省してるように見えへんかった」と言われた。しかも2017年には、和田から繋がる甥っ子としての立場を利用された和田翼(旧姓:岩崎)が「恐怖の先輩」川田将雅らによる逆ドッキリにまんまと引っ掛かり、ガチで泣いている。
100勝するごとに京都府京丹後市の児童養護施設への寄付活動を続けている[23][24]。
2022年11月17日、引退競走馬をテーマにしたYouTubeチャンネルを開設。
所属事務所であるRisyのプロフィール欄においてニックネームりゅうちぇる、出身地滋賀県栗東市タイムズスクェア前派出所、趣味缶蹴り、特技駄々滑りといった記述が存在する[6]。