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和田アキラ
生誕 (1956-08-26) 1956年8月26日(62歳)
出身地東京都品川区
ジャンルフュージョン、ロック
職業ギタリスト
担当楽器ギター
活動期間1975年 ?
共同作業者プリズム、他
公式サイト ⇒http://www.prismjapan.com/
和田 アキラ(わだあきら、1956年8月26日 - )は、日本のギタリスト。東京都品川区出身。フュージョンバンドのプリズムを中心に活動している。 小学生の時に姉の影響でグループ・サウンズに憧れて音楽に目覚めてドラムを始める。その後、ギターに転向。中学生の時にリアルタイムで、グランド・ファンク・レイルロードやレッド・ツェッペリンに影響を受け、ハードロックを趣向するようになる。この間、大病を患って療養生活を強いられ、その暇を持て余すなかでギターにのめり込み、プロギタリストになることを決意。高校には進学せずに、16歳の時にプロギタリストの松木恒秀に師事する。氏のローディーをする傍ら、氏が引き受けたコマーシャルの音録りなどのスタジオワークでは一緒にギターを弾く機会を与えられるなど信頼を得ていた。ローディーとしては一年あまりで離れるも、現在に至るまで師弟関係は継続され、和田の尊敬する日本人ギタリストとして一番に名が上げられる。 松木のローディーを離脱した1970年代半ばに入る頃、和田は所属していた都内のロック演奏のコミュニティのメンバーを誘って、自らがブッキング(演奏場所や参加メンバーの選定、マネージメント等)するライブ・セッションを行うようになり、久米大作らと頻繁に共演するようになる。メンバー強化のため、既にセミプロで活動していた渡辺建らを自らスカウトして招き入れ、次第にセッションからバンドとして形成されるようになっていく。そして、このバンドを元に1975年に日本初のフュージョンバンドとなるプリズムが結成され、プロとしての活動をスタートさせる。 デビュー前のプリズムの音楽性は、当時の和田が趣向していたロック&ブルース・ギタリストのカルロス・サンタナ率いるラテン・ロック・バンドのサンタナ、ジャズ・ピアニストのチック・コリア率いるエレクトリック・バンドのリターン・トゥ・フォーエヴァー、そのバンドのギタリストであるアル・ディ・メオラらのインスト音楽に影響を受けたもので、そこにセッション活動開始後の1975年、かねてから注目していたロック・ギタリスト、ジェフ・ベックの全曲インスト・アルバム『BLOW BY BLOW』が発表されるに至って決定的となった。 1976年、プリズムのデビューアルバム『PRISM』をレコーディング開始。それまで上述したアーティストらのカバー演奏だったものが、デビューに合わせてメンバー作曲によるオリジナル曲路線に変更し、このデビューアルバムでは、プリズムを牽引していた和田が7曲全てを作曲している。高い演奏能力に加え、インストによるハードロックを基調にしながらも、ジャズ、エスニック、プログレッシブ・ロックを織り交ぜた、いままでにない楽曲群にも評価が集まった。また、レコーディング中にプロデューサー判断により、以前からプリズムのメンバーと面識があり、四人囃子を脱退したばかりの森園勝敏がレコーディングに参加し、そのままプリズムに加入。森園は二年後にプリズムを脱退してソロ活動に移行するものの、その後も和田をはじめ、プリズムとは現在に至るまで親交があり、機会があれば共演もしている。 プリズムとしてデビュー直後の1970年代後半、スタジオワークとして高橋幸宏(当時・高橋ユキヒロ)などのアルバムのレコーディングに参加する一方、修練の目的で新宿ピットインなどで本多俊之や佐山雅弘らジャズのフィールドに居たプレイヤーとのセッションを重ねていき、新境地を開拓していく。 1981年にソロ名義でギター教則レコード『AKIRA WADA THE GUITAR』、1983年には初のソロアルバム『OUT & ABOUT』を発表。また、それらと前後して1980年頃よりプリズムでの活動と並行して、深町純が創設したフュージョン・バンドのキープ、松岡直也のビッグバンド、ウィシングにも参加。
目次
1 来歴
2 使用機材
2.1 ギター
2.2 ギター・アンプ
3 ディスコグラフィ
3.1 ソロアルバム
3.2 プリズム
3.3 KEEP
3.4 和田アキラ&津垣博通
3.5 RX
3.6 W.I.N.S
3.7 DUOLOGUE
3.8 深町純&和田アキラ
3.9 ExhiVision
4 関連項目
5 外部リンク
来歴