和気
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この項目では、和気郡和気町の大字について説明しています。

上記を含む岡山県和気郡の地方公共団体については「和気町」をご覧ください。

岡山県・備前国の郡については「和気郡」をご覧ください。

その他の用法については「和気 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

日本 > 岡山県 > 和気町 > 和気

和気
?  大字  ?
和気
座標: 北緯34度48分13.26秒 東経134度8分42.92秒 / 北緯34.8036833度 東経134.1452556度 / 34.8036833; 134.1452556
日本
都道府県岡山県
市町村和気町
行政地区(広域)和気
行政地区和気
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号709-0451
市外局番0869
ナンバープレート岡山
位置座標は和気町立和気小学校

和気(わけ)は、岡山県和気郡和気町にある大字である。かつての和気郡和気村にあたる。古くは、分や別の表記もみられた。

古くから別の渡(わけのわたし)と呼ばれ、吉井川渡し船の地であり、地名もこれに由来する。加えて、高瀬舟の発着地としても栄え、物資・旅客の集散地となり河港として繁栄、近世には岡山藩の船番所も設けられている。

郵便番号は〒709-0451(和気郵便局管区)。
目次

1 概要

2 沿革

2.1 歴史

2.2 地名の由来


3 地勢

4 主要施設

5 交通

6 参考文献

7 脚注

8 外部リンク

9 関連項目

概要

町の南中部、吉井川の左岸にあたり、また吉井川と金剛川の合流点にある地区で、一部は県道をはさんで家並をつくっている[1]

明治初期までは中北部の吉井川沿岸の「和気」と、南部の吉井川・金剛川の合流点に三角状に突き出した地域にあたる「曽根」に分かれていた。なお、現在、前者の和気の範囲は「本和気(ほんわけ)」と呼ばれている[1]

吉井川東側を南北に海抜約150mの峻急な丘陵が障壁をつくって、その南端が和気富士とよばれる曽根の城山であり、同山には名黒山城(北曽根城)跡がある[1]

かつては、かんぴょう等を主要産物としたが、現在は米以外は衰退している[1]
沿革
歴史

古くは当地は、備前国邑久郡の一部であったが、邑久郡・赤坂郡より分割・合併され藤野郡ができるとその一部となった。その後、『続日本紀』によると神護景雲3年(769年)12月に藤野郡に代わり和気郡が成立、同郡の一部となる。『和名抄』には和気郡に新田 (尓布多)郷があり、和気は同郷に属したとされる。その後、荘園の新田庄の一部となる[1]

古代の山陽道は藤野を経て別之渡(わけのわたし)を越え西へ向かっていた。当地はその渡し船の基地であり、古代における交通上の重要拠点であった。「和気」の地名もこれによる[1]

山陽道は中世になって三石から片上に路線を変えたが、古官道のルートも引き続き利用され、また吉井川に高瀬舟が通いだすと、和気は舟の発着場として開発され河港として、物資・旅客の集散地として繁栄した。さらに、江戸時代には備前岡山藩が公式に認定した13の在町の一つとして、交通・経済の要衝を占めた。『吉備温故』に和気村、大川端町並、岡山京橋まで6里22町、舟路8里、高320石5斗3升、田畑22町3反7畝25歩、家数159県、男女701人、高頼舟9艘、麦蔵があることをあげている。また和気の渡、磐梨郡吉原村(現 和気町原)へ渡すとあり、江戸時代には現在の和気橋より上手に渡し場があり、和気側に岡山藩の船番所があった。和気は、ふるくから絹織物を製産し、「和気絹」とよばれていたが、『吉備温故』には「和気絹今は絶ゆ」と見え、江戸時代中に製産は衰退したものとみられている[1]

曽根村は河川の合流点に位置することから、古来よりしばしば洪水に襲われ荒廃に帰したこともあるので、地形も昔より変遷している。曽根とは水に洗われた石地、あるいは砂地を意味することから、地名が水害の歴史を物語っている。対岸の南曽根(福富の川手の部分)も慶長年間の水害にあり、被害者の一部が曽根村から移住して集落をつくったところといわれる。『吉備温故』に曽根村、岡山京橋まで7里、舟路8里、高221石5斗8升(南曽根を含む)、 田畑15町7反4畝26歩、家数28軒、男女185人、船2艘とある[1]

明治8年3月、和気村が曽根村を編入合併(以降、曽根は住所表記からは消え、和気の一部となる)。同22年6月1日、和気・益原両村を合併して村制による和気村をつくり和気に村役場を置く。和気郡役所は明治11年9月 以来西片上にあったが、同33年4月、和気村に移し、郡政の中心地となる。同34年2月6日、町制を実施し、和気町になる。昭和28年4月1日、本荘町など4町村と合併して新たな和気町になった[1]

平成18年3月1日、和気郡佐伯町と新設合併を行い、現行の和気町が誕生した。
地名の由来

古代に当地にあった、古代山陽道の吉井川の渡し船「別之渡(わけのわたし)」の遺称であるとされる[1]

別之渡の由来は不詳であるが、備前国中枢部と播磨国を結ぶ山陽道と、吉井川の水運を利用して[2]美作国中枢部に向かう分岐地点であることに由来する説がある。他説として郡境となっている川(吉井川)を渡ることによるという説や、備前国の東寄りにあることから播磨国との国境に近いことに由来する説、あるいは当地が河川の合流地点になっていることから水運の面から見て分岐点になっていることに由来する説など、諸説ある[1]

和気郡も同様に別之渡に由来しているともいわれる[1]
地勢
河川


吉井川

金剛川

初瀬川


山岳


城山(和気富士、和気アルプス、曽根山、名黒山)

主要施設
公的施設


備前県民局東備地域事務所

国土交通省中国地方整備局

岡山河川事務所吉井川上流出張所

ハローワーク和気

東備地域生活支援センター

教育施設


和気町立和気小学校

和気町立和気幼稚園

医療・福祉施設


ケアハウスわけ

和気広虫荘

老人保健施設エスペランスわけ

北川病院保育所

北川病院

小林外科内科医院

郵便局


和気郵便局

一般企業・商店


NTT西日本和気電話交換所

JA岡山東和気支店

吉井川南部漁協

畠中建設

やすらぎホール

和気建設会館

清麻呂そうめん本舗

神社仏閣


最上稲荷

本成寺

史跡


名黒山城(北曽根城)跡

交通
道路


国道374号

岡山県道96号

岡山県道395号

旧街道


古代山陽道

片上街道

この節の加筆が望まれています。

参考文献

『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)

巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)

岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』山陽新聞社(1979年)

下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社(1981年)

脚注^ a b c d e f g h i j k l 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)


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